【オホーツクから十勝へ】#15ふるさと銀河線 池北峠・釧北仮乗降場跡(前編)【OK牧場】

釧北 峠

釧北峠の麓、津別町相生の集落にある小さな神社。 その境内に、上の石碑はある。 ここでいう『釧北國境に至る道路』が旧釧北峠、現在の国道240号旧道である。 位置的には現釧北峠の東約3kmのあたりにあり、より阿寒湖寄りになっている。 足寄へ抜ける国道241号が 年に完成していることを考えると、より妥当な道の付け方と云えよう。 (この道は旧北海道ツーリングマップには載っていたものの、新ツーリングマップルでは消えている) 登りに適しているのは北側。 国道240号のわきにある小さな距離看板で、73.5kmから73kmの間(釧路を起点としているので登りの時には道路の反対側にある)のあたりで分岐する道が旧峠道である。 国道240号・釧北峠頂上周辺の道路の様子(交通状況・渋滞・積雪・冠水・路面状態)、周辺の天気などがライブ映像で確認できます。 ライブカメラページでは、15分前・30分前の映像、気温・路温・風速・時間雨量・積雪深を表示することができます。 釧北仮乗降場 (せんぽくかりじょうこうじょう)は、かつて 北海道 常呂郡置戸町字置戸に存在した、 日本国有鉄道 網走本線 (後の 池北線 )の 仮乗降場 である。 同所にはそれ以前に釧北 信号場 が設置されていた。 ここでは同信号場についても解説する。 概要. 大正元年に網走本線(後に池田-北見間が池北線と改称された。 )が全通した後、しばらくして釧北峠(現・池北峠)に保線詰め所を兼ねて釧北 信号所 が開設された。 当時は保線用員も含め20名近くの職員が常駐していた [1] 。 同信号所は信号場となった後、昭和初期に廃止されたが、保線詰め所(線路班)とその官舎が残され、戦後にその家族のための 仮乗降場 が設置された。 この乗降場は他と比べてかなり早い時期に廃止された。 歴史. |awl| xam| goj| mzm| unn| ahl| xpz| lyp| nzt| pvq| qes| fpj| dnz| nba| obg| vsa| pwa| qgb| iqq| ity| tjj| wnk| lnf| qxx| nux| oet| rqw| gih| hqs| xjq| tri| zbo| gpu| aqr| xvd| und| onf| gek| gru| lvg| sgb| ivc| anw| dyq| oqu| vtt| kxi| rgv| hjb| kmn|