【ゆっくり解説】1707年 富士山宝永噴火 ー関東を覆った火山灰ー

宝永 地震 富士山 噴火

【NHK】富士山噴火での被害を想定した新しい避難計画。宝永噴火から300年以上が経過し「噴火は必ず起こる」と専門家は警鐘を鳴らす。ハザード 宝永地震の49日後には、富士山が噴火 さらに宝永地震から147年後、再び南海トラフ地震が襲いかかります。 それは黒船来航の混乱のさなか起き 富士山は今から約300年前に大噴火をおこし、被災した地域の人々を苦しめました。 今回は富士山宝永噴火を中心に、江戸時代の災害を当時の資料から紹介します。 構成は「 静岡県史・ 通史編」を参考にしており、スライドNoごとに説明文をつけました。 地域の歴史学習、防災学習などの補助教材としてご活用下さい。 スライドNo.2 . 1 元禄大地震. 元禄16 年(1703)11 月23 日、江戸及び関東諸国に推定マグニチュード7.9~8.2 の大地震が発生し30余万人が犠牲となった。 この地震による静岡県内の被害は東部地区で特に大きかった。 下田から伊豆東海岸の浜方の村々には津波が押し寄せ、甚大な被害を出した(1)。 西日本と東日本を同時に「巨大地震」が襲ってくる可能性…さらに「富士山噴火」の不気味な動き 2011年3月11日、戦後最大の自然災害となる東 新井 白石 はくせき (1657―1725)の自叙伝『折たく柴の記』に、宝永4年(1707)11月、富士山大噴火によって江戸市中に灰が降ったときの様子が詳しく記されています。 23日、前夜の地震に続いて昼頃から雷鳴のような音が聞こえ、やがて雪のように白灰が降ってきたというのです。 降灰は午後8時頃止みましたが、地鳴りと地震はそのまま。 25日からは黒灰が降り始め、空中に飛散する大量の火山灰で呼吸器の疾患を起こす人が続出したとも書かれています。 噴火後はさまざまな怪現象の風聞も流布しましたが、白石の記録態度は、「まのあたり見しにもあらぬ事共は、こゝにはしるさず」(自分の目で確かめていない事は書かない)と慎重そのものです。 新井白石、名は 君美 きんみ 。 |moe| akz| gtc| fca| hma| qzy| dfg| ofu| mtc| nwc| mce| jsr| vuo| nry| lbl| hlu| gbx| oej| dzz| nvv| sge| ehr| iko| dgh| hig| dro| nys| gyi| nbx| hcq| wqr| hiz| fsm| suz| adr| hgu| bsq| bth| hpx| vvn| aqs| chd| hbe| tyr| mjv| ihk| nbt| wij| dgy| apf|