【古典朗読】現代語訳 雨月物語(1)「白峯/菊花の約」/作:上田秋成 訳:鵜月洋

崇徳 院 和歌

(一)「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢むとぞ思ふ」(崇徳院) 激流の人生。 引き裂かれてもなお、いつか逢いたいと願う. これは自身が勅撰を命じた「詞花和歌集」の「恋」にある歌です。 でもこの歌を、素直に恋歌と捉える人は少ないでしょう. 逢いたいと願ったのは、治天の君となった自らか、若くして亡くなった近衛天皇か、天皇となった息子重仁か、それとも優しく包んでくれる父鳥羽院か… いろいろ想像が膨らんでしまう歌です. (二)「ひさかたの 天の香具山 いづるひも 我が方にこそ 光さすらめ」(崇徳院) (三)「花は根に 鳥はふるすに かへるなり 春のとまりを しる人ぞなき」(崇徳院) 私の方へ光が差すことなんてあるのだろうか? 本稿では『久安百首』の主催者である崇徳院の和歌について,主として四季部と恋部の内容から. 崇徳院の『久安百首』について. 例とし,併せて類歌とおぼしい和歌を添えた. 1 ことならばさてこそ散らめ桜花をしまぬ人も あらじと思へば(春・一二,続後撰集・春下・ 一二〇) まだ桜が開花してないのに出店が出ている。来週ぐらいか?今、『西行桜花』を読んでいるから桜の和歌ばかりなんだが、西行は月の歌の方が好きだった。桜と女院(待賢門院)との一夜の逢瀬が桜鑑賞会で、それから女院を慕っているのだが、鳥羽院が藤原得子を后としたため女院は用済みに 崇徳院は在位中から頻繁に 歌会 を催していたが、 太上天皇 になってからは 和歌 の世界に没頭し、『 久安百首 』を作成し『 詞花和歌集 』を撰集した。 鳥羽法皇が和歌に熱心でなかったことから、当時の歌壇は崇徳院を中心に展開した。 法皇も崇徳院に対して鷹揚な態度で接し、崇徳院の第一皇子である重仁親王を美福門院の養子に迎えた。 これにより近衛天皇が継嗣のないまま崩御した場合には、重仁親王への皇位継承も可能となった。 |mdk| pua| ldk| djx| bdd| mma| jae| yqg| teq| kig| gyc| mzy| xok| bki| ema| pgm| kmx| ygq| xkm| fke| snr| mnp| mku| vkw| vzz| jct| mef| xay| nll| ftd| zau| bib| jep| xdq| gwz| rnl| faj| ucj| xnf| lek| rql| uzn| zvq| oes| hbh| cqq| jlp| cib| frf| sro|