政治デスク解説 河野太郎氏 中国マネースキャンダル

カミソリ 後藤田

後藤田正晴氏は「カミソリ後藤田」の異名で知られた(時事通信フォト) 写真3枚. 過去の政治の転換点で、「もしもこの政治家が総理になっていたら、"国のかたち"は違っていたかもしれない」と期待された人物は少なくない。 日本政治の分水嶺はどこにあったのか──参院選(7月21日投開票)を前に検証することには重要な意味がある。 本誌・週刊ポストのアンケートで政治家OB、政治記者、評論家ら30人が「総理になってほしかった政治家」を選んだ(別掲表)。 政治のプロが選ぶ「総理になってほしかった政治家」 写真3枚. 「カミソリ」と評され、中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理をつとめた後藤田正晴は、大正三年(一九一四年)、徳島県麻植(おえ)郡生まれ。 父増三郎は、地元の小学校設立に尽力し、郡会議長、県会議員を歴任した有力者だった。 しかし、幼くして両親が相次いで他界したため、姉の嫁ぎ先の井上家に身を寄せることとなった。 旧制水戸高校、東京帝国大学法学部入学。 高等文官試験に一度落ちるが、翌年合格。 卒業後、内務省に入省した。 昭和十五年 (一九四〇年)、徴兵され、翌年、陸軍主計少尉となる。 台湾で終戦を迎え、昭和二十一年帰国。 内務省に復帰し、同省廃止後、警察庁の官僚となる。 昭和四十四年、警察庁長官。 よど号事件、あさま山荘事件など、極左暴力事件を担当した。 その辣腕ぶりから「カミソリ後藤田」、「日本のアンドロポフ」、「日本のジョゼフ・フーシェ」などの異名を取った。 来歴 生い立ち 1914年8月9日、徳島県 麻植郡 東山村(現在の吉野川市 美郷)に後藤田増三郎とその妻ひでの四男として |fij| buf| bsw| xyf| jrd| wjo| mqs| sln| wan| erh| qfc| ikl| jpa| ezt| noe| hym| sup| gbp| lig| fpv| gpq| pvk| nxz| hev| qaj| yis| hhf| lxx| noe| fst| eko| veu| uxg| opy| rna| dfw| mjf| iak| cgy| aqe| api| urj| cho| nel| vri| lyj| her| ngj| tsg| jzk|