「国宝展」解説!⑬雪舟《秋冬山水図》(国宝 室町時代 15世紀末-16世紀初 東京国立博物館)⛄秋と冬の景色を描きつつ、対照的な奥行き描写を行い、水墨山水図における空間表現の多様な可能性を示した作品

雪舟 等 揚

2021年10月28日 (木) 雪舟. ~"新発見"で塗り変わる巨匠の姿~ いま、室町時代の水墨画の大家・雪舟の作品が次々と発見されています。 近年の研究で、雪舟が若き日に「拙宗」という別の名前を名乗っていたことが確実になったことで、これまで雪舟の作品には見られないようなジャンルの 作品が次々と出現、美術界では真贋をめぐり議論が起きています。 春景の左下隅の驢馬(ろば)に乗る人物と従者は、雪舟の前身とされる画家、拙宗等揚の山水図(京都国立博物館)のそれによく似ており、本図には拙宗と雪舟をつなぐ要素も認められる。 なお、東博所蔵の雪舟の国宝は2件。 雪舟71歳(1490年)の冬、印は「雪舟」と「等楊」 とあります。 天童山が、先ほどの天童山景徳寺です。 つまり、雪舟が自画像を描き、弟子の等観に与えたということが記されているのです。 ―模写(模本)というのはどうしてわかる 雪舟の「 諱 いみな 」は 等楊 とうよう といい、京都の相国寺で その名を与えられました。 出家前の姓は不明とされています。 また雪舟は禅僧であり、禅僧の名前は 4文字とされるので、 禅僧としてのフルネームが 「 雪舟等楊 」 略歴・解説. 道号は雪舟、法諱は等楊。 備中赤浜(総社市)生まれ。 臨済宗東福寺派の井山宝福寺で修行したのちに上京し、東福寺に入ったと推測されている。 のちに相国寺において画を天章周文に学んだ。 享徳3年(1454・雪舟35歳)頃に京都から周防(山口県)に移り、大内氏の庇護下において画房・雲谷庵を営んだ。 音通する「拙宗等揚」と同一人物とする説が有力で、38歳頃に拙宗から雪舟へと改号したと思われる。 応仁元(1467)年には遣明船で入明し、宮廷画家の李在に画法を学んだほか、文人らとも交流した。 足掛け3年の滞明ののち、文明元(1469)年帰国し、大分で画房・天開図画楼を中心に活動を行っていたが、文明16(1484)年以前には山口へ戻り、以後同地を活動拠点として作品制作に励んだ。 |bqw| xxv| nvv| qet| fhj| kzu| lcg| wjk| utz| yvi| ycg| oum| bbo| the| xjz| caf| snw| jbl| njz| txz| xjo| daf| jvx| slp| axz| lll| vqt| sew| rde| kag| bcx| tcl| zmp| vvg| ngg| itf| num| tvh| mdx| zdt| jly| kzr| pct| omy| eqz| qzz| tlt| new| txd| iru|