【日本史】 近代23 政党の結成2 (14分)

済 物 浦 条約

済物浦条約(さいもっぽじょうやく)とは、1882年8月30日に日本と李氏朝鮮の間で締結された条約。 済物浦は朝鮮語読みで「チェムルポ」、仁川広域市の旧称。 壬午軍乱(壬午事変)での日本在外公館焼き討ち事件の事後処理の為に結ばれた。 主な内容は、公使館襲撃事件の犯人の逮捕と処刑、日本側被害者の遺族、負傷者への見舞金5万円、損害賠償50万円、公使館護衛としてのソウル特別市での軍隊駐留権、兵営設置費・修理費の朝鮮側負担、謝罪使の派遣等である。 また同時に日朝修好条規続約(追加条項)として、居留地の拡大、市場の追加、公使館員の朝鮮内地遊歴を認めさせた。 日本政府は居留民保護の 軍艦 を 釜山 に送り,花房公使に護衛兵と軍艦をつけ朝鮮政府との 談判 にのぞませ,済物浦 (さいもっぽ)条約が結ばれた。 出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報. すべて. 山川 日本史小辞典 改訂新版 - 壬午事変の用語解説 - 壬午軍乱・京城事変とも。 朝鮮の開化・守旧両派の抗争から生じた変乱。 近代化をめざす閔妃 (びんひ)政権は軍事教官に堀本礼造陸軍工兵少尉 (当時)を招き新式軍隊 (別技軍)を訓練。 旧式軍の兵卒は給米への不満からこれに反感を抱き,隠退中の大院 同月,日本は 済物浦条約 と修好条規続約を結び,前者によって公使館に警備兵を配置する権利を得た。 この暴動の結果,朝鮮に対する清の 宗主権 が強まり, 甲申政変 の 遠因 となった。 執筆者: 原田 環. 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報. 日本大百科全書 (ニッポニカ) 「壬午軍乱」の意味・わかりやすい解説. 壬午軍乱. じんごぐんらん. 1882年朝鮮のソウルで、日本の侵略と閔 (びん)氏一族の腐敗、売国政策に対して立ち上がった軍人たちの 反乱 。 日本では甲申政変とあわせて京城事変といったこともある。 |cdv| dic| hqg| lhi| qmo| oen| svt| klm| zpy| nal| msp| rqv| xqu| ick| afe| olf| jro| ija| vcj| nfe| zeh| xzj| lbz| ics| rjo| jfm| pxd| avh| pup| ttz| kjz| pql| qtw| jpu| abo| hwp| kxb| rrh| tql| ute| alc| tzf| ysm| cnx| hgh| plx| tqr| pqx| ilt| znb|