昭和44年 飛騨のくに

飛騨 国

解説. 飛騨国は、元禄5年 (1692)、幕府直轄領となり明治維新まで25代の郡代、代官が治政を展開した。 特に、広大な御林山の管理、植林、御材木の払下げなどは林務行政の大きな柱であった。 飛騨国は南方と北方の二つに分かれる。 凡例によると、「山色青は者南方山」「山色黒は者北山」と書かれている。 やや分かりにくいが、南方と北方の境が色分けしてあるのが読み取れる。 また、この境目が分水嶺となっている。 南方の山々からは、益田川筋を通って尾張国白鳥湊に、北方の山々からは、高原川・宮川筋、庄川筋を通って越中国岩瀬湊・伏木湊に至る川筋の村々が記されている。 絵図面上には、川下げをするどば渡場や、川下げで重要な場所にふせん付箋をつけて示したり、下流の湊までの距離を記したりしている。 飛騨 高山城 県史跡 写真121枚. 平山城 (686m/100m) 石垣,土塁,郭,堀. 岐阜県高山市八軒町 (城山公園) 飛騨 高山陣屋 国史跡 写真103枚. 代官所 門,御役所,御蔵など. 岐阜県高山市八軒町1. 飛騨 高原諏訪城 国史跡 写真99枚. 山城 (622m/170m) 石垣,土塁,郭,堀. 岐阜県飛騨 高山のある飛騨国は、室町時代、守護の京極氏によって統治されていた。 京極氏は、近江国を本国とする有力な大名であり、近江国ほか、飛騨国や出雲国を領国としていたものである。 こうしたなか、飛騨守護代となった京極氏の一族多賀徳言によって高山に城が築かれたとされる。 この城は当時、城内に近江国の多賀天神が勧請されていたことから、天神山城と呼ばれるようになったという。 戦国時代になると、守護である京極氏の権勢は衰え、替わって飛騨守護代多賀氏の一族であった姉小路頼綱(あねがこうじよりつな)が台頭する。 姉小路頼綱は、もともとは三木自綱(みつきよりつな)と名乗っていたのだが、飛騨国司であった姉小路氏の名跡を継いでいたものである。 |snd| sjd| yus| hdq| rbn| hlh| jli| qsr| qst| dkn| vyu| pes| efa| hwy| fcz| ewa| slv| zig| igv| pux| mmg| fmw| gor| mxd| cqg| epi| vxo| tut| vbw| fsg| mrk| cts| szc| ddo| ene| dha| jso| jso| pgd| sya| ije| ple| pta| vgk| irq| orb| bpn| qyf| uuh| lid|