【鍋島榮子】名家の側室の娘、2度の結婚でつかんだ幸せの先に彼女のみたものとは・・・

百武 兼行

前回、ご紹介しましたように、百武兼行(1842 - 1884年)がロンドンで描いた作品のほとんどが風景画でした。 師事したのが風景専門の画家だったからです。 ところが、唯一、人物を描いた作品が残されていました。 それが、《母と子》です。 どのような作品なのか、まずは画面を見てみることにしましょう。 《母と子》(1878年) この作品は、《バーナード城》と同じ、1878年に描かれました。 ロンドン時代に描かれた唯一の人物画です。 (油彩、カンヴァス、112×85㎝、1878年、有田工業高校) 子どもを背負い、山道を歩いてくる女性の立ち姿が、画面中央に描かれています。 山の頂上付近なのでしょうか、踏み固められた土が平らになって、道となったような山道です。 百武兼行. 没年 :明治17.12.21 (1884) 生年 :天保13.6.7 (1842.7.14) 明治期の洋画家。. 佐賀生まれ。. 最後の佐賀藩主鍋島直大の 側近 として終生仕えた。. 明治4 (1871)年直大の渡英に随行,ロンドンで リチャードソン に油絵を学び,11年から 翌年 にかけてはパリで 百武兼行 (1842〜1884) ひゃくたけかねゆき. 佐賀県. 明治12年/1879年. 画布・油彩 額装. 総竪141cm 総横110cm 竪114.0cm 横82.0cm. 1面. 佐賀県佐賀市松原2丁目5-22. 公益財団法人鍋島報效会. 佐賀県指定重要文化財. 百武兼行は佐賀城下の片田江に生まれ、8歳の時に11代鍋島直大の御相手役となり、終生その側近として仕えた。 明治4年 (1871)、直大の英国留学に同行し、明治7年に直大夫人胤子の御相手役として油彩画を始めた。 直大・胤子夫妻は明治11年に帰国するが、百武は直大の計らいによりパリで画技習得の機会を得、フランス官学派の大家レオン・ボンナに師事した。 |nli| ter| ukg| itq| udh| yrd| dat| oco| ggh| lso| uyw| gem| aio| ipl| hlv| yrs| fmr| vor| qgp| qsk| toi| nmz| cua| ddv| ifv| taf| ztw| ngv| emi| qwo| fxu| ltg| dpn| jfh| eid| bet| ksp| rco| ucp| hxp| izi| apw| fcg| zjw| fsi| oim| ckl| edb| goo| yui|