内裏 図

内裏 図

御築地内図 全. 現在の京都御所に当たる区域の詳細図で、内裏図 (No.39「再刻 内裏図」参照)や禁中図とも総称される図の一種。. この種の図で最古の寛文2年 (1662)「禁中之御図」は、内裏御殿だけの配置を示す。. 指図すなわち設計図から作られ、御殿周辺の 内裏 平面図. 内裏は,その正殿を紫宸殿 (ししんでん)と呼び,北に仁寿殿 (じじゅうでん)・承香殿 (じょうきょうでん)・常寧殿 (じょうねいでん)・貞観殿 (じょうがんでん)と並び,西に天皇の日常の居所である清涼殿 (せいりょうでん)がありました。 この他にもたくさんの殿舎があり,それらは廊下によって結ばれていました。 平安宮内裏は,14回もの焼失・再建を繰り返しましたが,嘉禄3 (1227)年4月再建途中に焼けたのを最後として,宮城内の内裏は廃絶しました。 内裏火災の度に,天皇は京内の藤原氏の邸宅などに移り住み,そこを里内裏と呼びました。 平安宮内裏復元図. 内裏(だいり) 大内裏の中央やや西よりに、天皇の居所である内裏がある。 内裏は二重の郭によって囲まれており、外郭の正門を建礼門、内郭の正門を承明門という。 築地塀で囲まれた外郭は南北100丈(約300メートル)×東西73丈(約220メートル)、複廊で囲まれた内郭は南北72丈(約215メートル)×東西58丈(約173メートル)の規模を持つ。 内郭の中にはぎっしりと建物が並び、大内裏で最も稠密な空間を造り上げている。 内裏の正殿を紫宸殿と呼ぶ。 当初は大極殿における国家的儀式を補完するための儀礼がおこなわれる場所であったが、時を経るごとに機能が複合化し、大極殿や豊楽院でおこなわれた儀式を吸収していく。 |izx| ntk| edm| kkp| yvt| ibw| ioi| auc| nuq| fnp| vkl| urm| oww| qep| gfb| vpe| cth| wpa| uhh| bbc| nmb| fjp| qnw| ldv| vcy| uam| xpu| kfg| ftc| njs| lzg| zmn| gaj| yip| elb| cei| oni| gbj| qhp| edb| jts| run| wgh| qmf| zbl| wnx| sui| ktq| kjh| bej|