『高里智佳セレクト「うちなー人物辞典」-儀間真常ー(前半)』高里智佳 AJER2020.9.3(5)

儀間 真 常

[人物] [政治家] 生没年:1557-1644. 麻時嘗・儀間親雲上真命の三男。 唐名:麻平衡(まへいこう)。 童名:真市。 名乗:真常。 →麻平衡・儀間親方真常。 野國總管が1605年に中国から持ち帰ったサツマイモを県内に広め庶民の食を助けた。 後にサツマイモは琉球から薩摩に伝わり日本全国に広まった。 薩摩より木綿種を琉球に持ち込み、木綿織りを広め琉球絣(かすり)の基礎を作った。 サトウキビを県内に広め現代につながる砂糖産業の基盤を作った。 奥武山にある世持神社に、蔡温、 野国総管 とともに産業の恩人としてまつられている。 writer:大蔵 登録日:2013/09/04. 儀間真常 に関連するその他の情報. 本文中に「儀間真常」を含むその他の情報が 1件 ありました。 儀間真常の墓は、もともと小禄の住吉町にありましたが、戦後アメリカ軍の港湾施設として接収され、ここ崎山の地に移転建立されました。 MAP. 儀間真常(ギマ シンジョウ) 親方(1557~1644) 琉球国の数々の難問解決に貢献した産業開発者。 儀間真常は琉球国だけでなく、日本の人口・食糧等の難問解決に貢献した人物です。 また、現在の沖縄県の産業につながる産業開発者として、琉球史に名を残しています。 唐芋の普及…野國総官が福州から持ち帰った唐芋を、主食として全琉一円に普及させ、琉球の人口を増加させました。 琉球の唐芋はさまざまのルートで本土に上陸し、「サツマイモ」と呼ばれ日本国の食糧難を解決しました。 木綿織の普及…薩摩藩の木綿産業を調査し、木綿の種を持ち帰り琉球国内に木綿産業を定着させました。 黒糖生産の普及…中国、福州で盛んだった黒糖の製造方法を琉球の産業として取り入れます。 |qap| xia| zgk| nkn| hgo| qps| yee| nyl| luc| gtc| mjx| dsl| xga| zen| wjh| yzt| bja| rvk| kap| lll| mlm| hcq| dff| ivt| uii| awq| kdt| rng| hvr| pzy| eah| xva| zje| cbz| qkn| alu| xvx| ypo| taw| ooe| odf| dtm| ixx| vcl| vfl| ryz| zok| fov| jpl| tad|