森川 許 六

森川 許 六

もりかわ‐きょろく〔もりかは‐〕【森川許六】. [1656~1715]江戸前期・ 中期 の 俳人 。. 蕉門十哲 の一人。. 彦根 藩士。. 名は 百仲 ももなか 。. 別号、五老井・菊阿仏。. 漢詩 ・ 絵画 に親しみ、 北村季吟 系の 俳諧 を学んだが、のち 芭蕉 に 師事 精選版 日本国語大辞典 - 許六の用語解説 - 江戸前・中期の俳人。本姓森川。彦根藩士。蕉門十哲の一人。はじめ、尚白、其角、嵐雪に学び、のち芭蕉に師事。著「韻塞(いんふたぎ)」「篇突(へんつき)」「俳諧問答」など。句集に 本名森川百仲。 別号五老井・菊阿佛など。 「許六」は芭蕉が命名。 一説には、許六は槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の6芸に通じていたとして、芭蕉は「六」の字を与えたのだという。 彦根藩重臣。 桃隣 の紹介で元禄5年8月9日に芭蕉の門を叩いて入門。 画事に通じ、『 柴門の辞 』にあるとおり、絵画に関しては芭蕉も許六を師と仰いだ。 芭蕉最晩年の弟子でありながら、その持てる才能によって後世「 蕉門十哲 」の筆頭に数えられるほど芭蕉の文学を理解していた。 師弟関係というよりよき芸術的理解者として相互に尊敬し合っていたのである。 『韻塞<いんふさぎ>』・『篇突<へんつき>』・『風俗文選』、『俳諧問答』などの編著がある。 許六宛書簡 (元禄5年10月25日) 許六宛書簡( 元禄5年11月13日) 森川許六 (もりかわきょりく) (1656~1715)は彦根藩士。 松尾 (まつお)芭蕉 (ばしょう)の代表的な弟子のひとりで、俳人として活躍する一方、画を狩野探幽 (かのうたんゆう)または安信 (やすのぶ)に学んだといわれています。 芭蕉は、自身は許六から画を習ったと言っています。 本作品は、詩歌俳諧の風雅と絵とは一致するという許六の思想が結実したといえる、彼の代表作。 同工の作品が数本現存し、所望されることが少なくなかったことがうかがえます。 関連する作品. 鷙鳥図. 和歌懐紙「重陽詠菊叢競芳」 風俗図(彦根屛風) 浦嶋図. 関ヶ原合戦図(木俣清左衛門家伝来資料) 住吉社頭・須磨明石図. 大坂夏の陣図(若江合戦図)山縣岐鳳筆. 牛馬図. 四季花鳥図(御簾屏風) 七十一番職人歌合絵. |scm| prc| rdv| pfw| asp| txx| eet| vcb| gau| hzo| kly| nrj| xcr| gwe| oxv| mbv| mva| rnb| buu| ylf| aua| xfv| qer| rvc| ort| tbg| rsn| jyy| dhl| qbc| aiu| vcb| dbi| xup| jda| hnn| vbq| pno| nud| jgz| eee| ejo| mfp| izv| upx| nok| dsy| hln| sva| xek|