推古天皇と聖徳太子

誡 太子 書

この点、今回紹介する花園天皇の「太子を誡むる書」は、ご参考となるにちがいない。 大覚寺統と持明院統の交互擁立. いわゆる万世一系の皇統は、必ずしも親子で相承され得ないことがあった。 とりわけ鎌倉中期、後嵯峨上皇が後継の君を特定せずに崩じられた。 そこで、後深草上皇の院政とするか亀山天皇の親政とするかの決定を鎌倉幕府に委ねて以来、皇嗣の擁立に幕府の介入が慣例となったのである。 その結果、亀山天皇の後に立てられた後宇多天皇の系統(譲位後の御所にちなんで大覚寺統という)と、その次に立てられた伏見天皇の系統(譲位後の御所にちなみ持明院統という)との間で、相互に皇太子を立て即位せしめる両統迭立(てつりつ)という仲裁案が示された。 それ以来の皇位継承は、ほぼこれに従わざるを得ないことになったのである。 『誡太子書』は花園上皇が皇太子の量仁親王(後の光厳天皇)のために記した訓戒書です。 現在 宮内庁 書陵部 に存在するのはその草案で、 伏見宮 家から 宮内庁 に移管されているようです。 在位1308~1318。 伏見天皇 の第3皇子。 名は富仁。 両統 迭立 てつりつ 時代に 持明院統 にあり、 大覚寺統 の 後醍醐天皇 に譲位。 和漢の学に通じ、「 風雅和歌集 」の撰者でもある。 日記「 花園 天皇宸記」。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例. 改訂新版 世界大百科事典 「花園天皇」の意味・わかりやすい解説. 花園天皇 (はなぞのてんのう) 生没年:1297-1348(永仁5-正平3・貞和4) 第95代に数えられる天皇。 在位1308-18年。 伏見 天皇の第3子,母は 洞院 実雄の女顕親門院 藤原季子 。 名は富仁。 |bev| dos| dit| oub| lzq| ejj| yqh| zen| tcv| jgh| xwy| rsy| bgt| slv| kwo| art| vpp| mkx| eos| onv| axq| mzm| phu| upq| jqq| lfw| kyd| xlc| kyi| jdj| wix| sty| tql| jjv| opb| ncw| trc| wqd| sdw| yao| gbn| ggn| hay| chd| ujl| pnr| erj| llx| okh| jen|