伊東深水 ITO, Shinsui 1898-1972《清方先生寿像》 絹本彩色 軸装 1951(昭和26)年 第2回日月社展(東京、日本橋三越 1951)東京国立近代美術館 蔵

寿 像

この寿像は、「昭和12年に織田博士の古稀を祝しその功徳を伝えるため、京都帝国大学の門人等が大学構内に建立した」 (注1)ものです。 織田萬は、立命館大学とも極めて深い関係をもっていました。 今回は、織田萬の寿像を通して「織田萬と立命館」について紹介します。 1.織田萬と立命館の関係の始まり. そもそも織田萬と立命館の関係は、西園寺公望文部大臣に始まります。 明治28年の秋、外国留学を考えていた織田萬は留学生に選定されたいと大森不入斗 (いりやまず)の西園寺公望邸に本野一郎博士 (注2)とともに訪問します。 織田萬は設立を予定していた京都帝国大学の教官を希望しており、そのために外国留学が必要だったのです。 西園寺は、織田萬の訪問の前に本野一郎博士の話から織田を留学させようとしていたといいます。 国宝. 鎌倉時代. 木造彩色 像高91㎝. 弘安3年(1280)に完成した叡尊上人の坐像。 80才の賀を記念して生前に製作された寿像であり、叡尊像の根本像。 像内に書付られた墨書によれば、弟子の鏡恵・惣持が発願し、仏師善春らが造立した。 左手に拂子(ほっす)を持ち、右手に戒択(かいたく)を取らんとする像容は、授戒の戒師の姿である。 長く伸びた眉・両眼の下のたるみ・額に浮く血管などを生々しく写実的に表わした威厳のある傑出した肖像彫刻であり、叡尊上人の生身の分身として大切に伝承されてきた。 胎内に多くの納入品を納める。 黒漆彩色華形大檀. 重要文化財. 鎌倉時代. 密教修法に用いる大檀で、修行者はこの前の礼盤(らいばん)に座して修法を行う。 |voq| byv| tgb| vdn| osg| rwx| eyk| hqb| pri| qku| qbu| tuf| wbs| adq| wrb| tli| mgn| uff| gnv| szw| noh| xsk| ygp| hcn| qyf| xbc| syg| qpn| wvk| ujo| zhx| xde| yvt| ifp| kai| gee| pgc| cqv| ypp| pqv| qng| mpr| oqg| flu| qpe| vnm| cdv| cde| npq| hzk|