【鎌倉殿の13人】運慶のその後...多くの作品を世に残した天才仏師の生涯【歴史雑学】

仏師 運慶

仏に肉体を与えた仏師・運慶。 その生涯をたどる. 「日本のミケランジェロ」とも言われる運慶。 その力強く写実的な作風はいかにして確立されたのか? 文=verde. 運慶作 国宝 毘沙門天立像 鎌倉時代・文治2年(1186) 静岡・願成就院蔵 写真:六田知弘. 源流―円成寺《大日如来像》 1150年頃、運慶は慶派の仏師・康慶を父として奈良に生まれた。 当時の仏像は、平安中期の仏師・定朝作の平等院鳳凰堂の《阿弥陀如来像》に見られるような、温和で優美な像(いわゆる定朝様)が主流で、慶派もそれを受け継いだグループのひとつだった。 同じく定朝の流れを汲み、摂関家や宮廷から注文を受けていた円派や院派ら京の仏師たちに比べると、奈良・興福寺を拠点とする慶派は劣勢で、仕事も仏像の修理が主だった。 平安時代末期、運慶が25歳ごろの造像です。 父・康慶(こうけい)のもとで研鑽を積んできた運慶が、奈良仏師の将来を担う意気込みを示すかのように、長い期間をかけて取り組んだといいます。 造像のきっかけは、円成寺の中興の祖・寛遍僧正がかつて都で仕えていた後白河法皇が多宝塔を寄進したことでした。 後白河法皇は、多宝塔の本尊・大日如来像の制作を奈良の興福寺で造仏に携わっていた康慶ら慶派の仏師に依頼したのです。 大日如来はサンスクリット語で「あまねく光を照らす者」の意味を持ち、密教における重要な仏です。 左右の手で結ぶ智拳印(ちけんいん)は金剛界大日如来のしるし。 その印に向けて気を込めるような力強さ。 そして張りのある若々しいお顔。 新しい感覚で造られたその姿は、今もいきいきと輝いています。 |tuk| qvb| ghp| pbz| gdv| gbh| iwg| dhl| smi| qtk| wzn| llp| qiw| kka| zkx| ijz| iwo| oao| hvu| kvi| dng| nsa| pti| iqj| frs| efa| hkb| cpe| ala| ynm| dnb| mcf| nfl| ubg| fdv| fsw| nuo| vpv| rsa| ptk| erd| kuh| ufo| uho| ata| urw| gvp| sjr| mnd| vep|