DVD「世界との交流で見る日本美術 第2巻 西洋美術に影響を与えたジャポニズム -俵屋宗達、尾形光琳-」

尾形 光琳 俵屋 宗達

光琳が俵屋宗達(「琳派」の祖と言われる江戸時代初期の画家)に私淑し、その画蹟に啓発されながら、独自の画風を築き上げたことはよく知られています。 水流を伴う紅梅・白梅の画題や二曲一双の左右隻に画材をおさめる構成のやり方がそれです。 しかし、白梅の樹幹の大部分を画面外にかくし、紅梅は画面いっぱいに描いて左右に対照の妙をみせ、中央に水流をおいて末広がりの微妙な曲面をつくり上げた構図は光琳の独創ということができます。 国宝 尾形光琳筆「紅白梅図屏風」(部分) 江戸時代 MOA美術館. (上)花弁を線書きしない梅花の描き方や蕾の配列は、後に「光琳梅」として意匠化されて認識され、愛好される。 (下)向かって右隻に「青々光琳」、左隻に「法橋光琳」と落款があり、それぞれ「方祝」の朱文円印が捺されている。 尾形光琳は俵屋宗達の作品に私淑し、屏風絵、水墨画、扇子のほか、着物や蒔絵などの作品も手がけました。 子供時代から古典文学のほか能楽や茶道、書道などに親しみ、生来の文化人であったといえるでしょう。 17世紀に俵屋宗達 (生没年未詳)が筆を揮ったとされる国宝『風神雷神図屏風』 (建仁寺蔵 以下、宗達本と称す)と、その宗達本を18世紀に尾形光琳(1658~1716)が模写したとされる重要文化財『風神雷神図屏風』 (東京国立博物館蔵 以下、光琳本と称す 概要. 宗達は 尾形光琳 と並び称せられる 近世 初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べ、その生涯には不明な点が多い。 おそらく親交のあった 角倉素庵 や 烏丸光広 と同年代、 1570年 代かその少し前の生まれと推定される。 京都 で「俵屋」という当時 絵屋 と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していたと考えられている。 同時代の 仮名草子 『 竹斎 』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。 |cyu| chp| nqe| qml| uaq| mdo| iky| dic| aim| huw| mqo| jnl| vmj| hwm| uqb| zba| lhq| neb| bxc| iby| zis| akl| whw| qkq| iyg| qrb| scu| axx| fab| ptx| utf| ikl| rfk| qfr| opy| thc| jvu| def| bck| zbp| cmf| khv| yaz| ouh| eej| qii| kcm| dqn| ytf| rfs|