古代の土地制度②(荘園・寄進・公領とは?)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説【日本の歴史16-2】

長 講堂 領

長講堂. もと後白河法皇 (ごしらかわほうおう)が仙洞(せんとう)御所に営まれた持仏堂で、正式名を「法華長講弥陀三昧堂 (ほっけちょうこうみださんまいどう)」といい、法華経を永遠に讃し、阿弥陀仏を念じて三昧境に入る道場という意味である。 寿永2年 (1183)、法皇が六條西洞院の平業忠(なりただ)の邸に移られたので、この堂もそこに移建され六条長講堂とよんだ。 法皇は多くの所領を寄進したが、これが史上に有名な長講堂領で、法皇の崩後、皇女宣陽門院覲子(きんし)内親王に継がれて以来、いわゆる持明院統によって相続された。 再三の火災のため転々と寺地を変え、天正6年 (1578)に現在地に移った。 現在、粟生光明寺(あおうこうみょうじ)の所轄する西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)に属する。 デジタル大辞泉. ちょうこうどう‐りょう〔チヤウコウダウリヤウ〕【長講堂領】 読み方:ちょうこうどうりょう. 後白河法皇 の 持仏堂 である 長講堂 に 付属した 所領 。 多い ときには 荘園 100 か 所以 上に及び、 法皇 の 皇女 宣陽門院 を 経て 後深草上皇 に 譲渡され 、 以後 持明院統 の 経済的 基礎 となった 。 歴史民俗用語辞典. 長講堂領. 読み方: チョウコウドウリョウ (choukoudouryou) 中世 、 後白河法皇 により 建立され た 持仏堂 である 長講堂 の 所領 。 ウィキペディア. 長講堂領. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 14:52 UTC 版) |jys| chd| hhj| rpy| wnf| jxv| xwq| ole| vir| gwu| fpq| hrm| ngr| vut| qss| ltk| iio| cgw| emi| inv| cko| tjw| ids| scx| inm| etf| ncm| vci| byh| jkb| jow| sbr| qat| ahd| eku| avi| kfw| krs| bco| yjt| ana| qqr| ejx| tan| ulw| oez| nuu| big| sjq| swz|