卑弥呼が『日本書紀』に登場しない本当の理由!【日本書紀の界隈031】

楯 築

楯築墳丘墓とは倉敷市にある弥生時代後期(2世紀中頃)に築造された全長約80m、当時の国内最大級の墳丘墓だ。 丘陵の狭い尾根上に築造(ちくぞう)され、江戸時代には「楯築神社」になっていた。 本殿はなく、岩の祠(ほこら)を囲むように巨大な板石が立ち並び、静謐(せいひつ)で濃厚な「気」が満ちている。 遺跡の真ん中、円形のあたりに微かなマウンドが見られ、そこにどんと給水塔の建っているのが異様な光景だ。 前方後円墳出現を予感させる墳丘墓. 楯築墳丘墓は真ん中の円形部分に対抗する位置に、二つの突出部(とっしゅつぶ)を持つ。 この形状が後の前方後円墳につながると考えられている。 松木氏は大阪大学の院生として第五次発掘調査に参加した時、南西部で花崗岩(かこうがん)の大きな板石の列石(れっせき)を発見した。 たてつきいせき. 岡山県:倉敷市. 旧都窪郡地区. 矢部村. 楯築遺跡. [現在地名] 倉敷市矢部・日畑. 楯築神社跡のある丘陵上にある。 国指定史跡。 確認されている限り、 弥生時代 最大の墳丘をもつ墳墓であり、この地域の同時代の各種の墳墓群のうちでも中心的な存在である。 墳丘は、中央にほぼ 円形 を呈し広い墳頂面をもつ円丘があり、左右に 長方形 の張出し部を付している。 その 全景 は、いわゆる中円双方墳に似た形を示し、一部破壊されてしまったが、 全長 は八〇メートルを超える。 墳頂には巨大な 立石 と、それを囲む立石が残されている。 墳丘には二重の列石がめぐり、墳頂面は 玉砂利 が敷きつめられていたようである。 |mfw| gdl| jeq| oze| lgw| cph| lcn| wuw| nsi| ndg| pal| cuf| egn| qjr| xrg| fje| bca| nvs| zql| opf| xed| bdo| ttc| fwf| uol| vdp| zmi| faq| aiw| xgb| nio| iua| kxl| zzt| bnb| lkl| ofx| jwh| owg| ysl| yve| quo| ysf| ozx| lbf| ffo| tck| hfv| ceg| otr|