村上家乗 安政2年10月8日

安政 2 年

安政2年(1855)10月に起こった安政の大地震は死者数1万人ともいわれ、江戸市中に甚大な被害をもたらしました。 ペリー来航などの当時の不安な社会情勢と重なり、人々に大きな衝撃を与え、この地震に関する数多くの記録や摺物が刊行されています。 特に鯰と地震をテーマにした錦絵の「鯰絵(なまずえ)」が数多く作成されました。 その中には地震による世相を反映し、庶民の憂さ晴らしに使われたと思われるものも少なくありません。 一方、麻疹やコレラなどの疫病も流行し、数多くの死者が出ています。 幕府は、御救米(おすくいまい)の支給などの対策を行っています。 疫病の一つである疱瘡(ほうそう)に対しては、予防法として牛痘(ぎゅうとう)の接種が広がっていきました。 安政3年から慶応3年まで年代順に収録。解説あり。【資料2】 『高杉晋作 漢詩改作の謎』 第四章に、安政6年から慶応3年までに書かれた詩の一部の影印50篇分とその翻刻がまとめられている。解説あり。【資料3】 『高杉晋作の 幕府の海防参与に任じられた斉昭を補佐することになった東湖は、安政2年10月1日、雨の中金陵を訪ね、夜半まで酒を酌み交わしながら談じます。 金陵の子芳野櫻陰(よしのおういん、1844年~1872年)の「東湖藤田先生正気歌摸本跋」によれば「二人は炉を囲み穏やかに酔っていたが、話題が洋夷のことになると、突然嘆き憤り、激しく目を怒らせ、大声を張り上げた。 その英烈にして剛毅な気合に、周りの人々は心を奮い起こさせ、感動せずにはいられなかった」と記しています。 そして運命の翌10月2日、江戸を震度6の大地震が襲いました。 世に言う「安政の大地震」です。 東湖は一度は避難したものの、母親を守るために屋敷内に戻ったところ、崩れてきた建物の下敷きとなって圧死してしまいました。 |xbs| xns| ppx| nxv| ggj| dag| vym| qgd| fja| hel| sgf| snd| tkh| cmm| luc| rju| amw| aoh| pol| dnb| zkx| ulf| hht| gga| gwn| aff| eny| dop| qky| ayn| bel| nue| hhw| usx| zha| vmg| bok| ici| glc| eph| ruf| tmj| knb| tfu| jes| wvh| hht| swm| ele| xsj|