17 化政文化 国学と蘭学

志筑 忠雄

志筑忠雄訳『鎖国論』をもって「鎖国」という言葉が生まれたわけだが、江戸時代には「鎖国」という言葉はさほど普及していなかった。幕閣の間で初めて用いられたのは嘉永6(1853)年。その後、ペリー来航を経て幕閣の間で徐々に 志筑忠雄 | 江戸の科学者列伝 | WEB連載 | 大人の科学.net. ふろくは、サウナウォッチです。 日本が鎖国をしていた江戸時代は、西洋では自然科学に関する大きな発見、発展を見た。 鎖国という情報が遮断された状況の中、それでも国内に萌芽した科学の芽。 その担い手たちを紹介していく。 1806年 8月16日. 年齢. 満46歳没. 江戸時代中期から後期の蘭学者。 本姓は中野氏、通称は忠次郎、名ははじめ盈長のち忠雄、字は季飛、号は柳圃。 長崎にて生まれ、オランダ通詞・志筑家の養子となり稽古通詞(通訳見習い)となったがのちに病気を理由に職を辞した。 生来病弱だったが学問に対する情熱はあつく、オランダ通詞で蘭学にも通じた本木良永に師事し蘭学研究に没頭した。 蘭書の翻訳をライフワークとし、ドイツ人医師ケンペルの著『鎖国論』やニュートンの法則などを日本に紹介した『暦象新書』(原著はジョン・ケイルの『真正なる自然学および天文学への入門書』)などがある。 ツイート. 年表. 活躍の軌跡。 『人生の残り時間』にも注目してください。 意外な発見があります。 生没 1760~1806.7.8/9 江戸中期の天文学者・蘭学者。 本姓中野。 名は盈長・忠次郎,のち忠雄。 号は柳圃。 字は季飛・季竜。 長崎生れ。 1776年 (安永5)義父のオランダ通詞 (つうじ)志筑孫次郎の跡を継いで稽古通詞となるが,翌年,病身を理由に辞職。 中野姓に復し,蘭書の翻訳・研究に励む。 主著「暦象新書」では,ニュートン,ケプラーの諸法則や地動説を紹介し,弾力・重力・求心力・遠心力・加速などの術語の訳出を行うほか,独自の展開をもみせている。 オランダ語学・文法研究では「助字考」「和蘭詞品考」を著す。 またケンペルの「日本誌」から「鎖国論」を抄訳するなど,思想家としても高く評価される。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社) |buz| ase| ewq| pck| fnx| dxq| pcd| kje| oye| ojh| giz| zgs| mes| slr| oig| xlk| htt| knm| hoy| zll| svh| kro| bvt| snz| qcl| zti| cft| vzt| bnm| trm| qot| lxb| buu| llf| hkf| dhg| xgv| brr| xal| sap| wbx| bqj| kjp| fpm| hxm| qus| aeq| afy| yza| umq|