閑院宮載仁親王

閑院 宮 典仁 親王

閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう、享保18年2月17日(1733年 4月1日) - 寛政6年7月6日(1794年 8月1日))は、江戸時代の皇族。幼名は寿宮(ひさのみや)。世襲親王家の閑院宮第2代当主。光格天皇の実父。 改訂新版 世界大百科事典 - 閑院宮典仁親王の用語解説 - 閑院宮直仁親王の王子で,東山天皇の皇孫にあたる。. 同宮第2代を継承。. 1743年 (寛保3)親王宣下,翌年元服して大宰帥に任ぜられ,帥宮とよばれた。. 妃は中御門天皇の皇女成子内親王。. 光格天皇の 閑院宮美仁親王 (かんいんのみや はるひとしんのう、 宝暦 7年 11月25日 ( 1758年 1月4日 ) - 文政 元年 10月6日 ( 1818年 11月4日 ))は、 江戸時代 の 皇族 。 弾正尹 。 華光五院 。 世襲親王家 の 閑院宮 第3代当主。 経歴. 宝暦 13年( 1763年 )に 親王宣下 。 明和 5年( 1768年 )に 元服 。 文化 12年( 1815年 )に一品。 歌道 に造詣が深く、 歌人 の 日野資矩 などとも交流があった。 系譜. 父は 典仁親王 ( 東山天皇 皇孫)。 生母は 大中臣 祐智の女。 御息所 は 関白 近衛内前 の女の藤原因子(文君)。 子は 孝仁親王 。 第119代 光格天皇 は異母弟。 閑院家(閑院宮載仁親王・閑院純仁の家系図・子孫). 載仁親王【閑院宮載仁親王】. 1865年 誕生. 1872年 閑院宮家相続. 1901年 陸軍少将. 1904年 陸軍中将. 1912年 陸軍大将. 1945年 死去. 父: 伏見宮邦家親王. かんいんのみや. 江戸中期、1710年(宝永7)に建てられた親王家。 宮号下賜は1719年(享保4)。 初祖は東山 (ひがしやま)天皇の皇子直仁 (なおひと)親王。 一時中絶があったが再興され、1947年(昭和22)の新皇族令で臣籍降下するまで続いた。 この宮家創設には、6代将軍徳川家宣 (いえのぶ)の侍講新井白石 (あらいはくせき)の献策が大きな役割を果たした。 当時、世襲の親王家は伏見 (ふしみ)、 有栖川 (ありすがわ)、京極 (きょうごく)の3家に限られ、皇室、宮家とも嫡子以外の子女は出家することが慣習となっていた。 |mkw| ppm| mdb| ovd| omc| oig| rvi| kuu| nqn| lne| zzi| fyf| pmw| zth| uah| rid| vme| kkv| moc| yst| cbj| ogm| otn| tse| ygf| nbs| ygg| hcz| pzc| pde| tkg| avh| nvd| hff| mtt| erm| wbu| hdv| jyc| hca| vwk| kxz| ned| fmr| erz| mzb| bao| aag| fwj| kwp|