丹波康頼

丹波 康 頼

平安中期の医家 丹波康頼 (やすより)の後裔 ( こうえい )である。 康頼の 子孫 は代々侍医として 朝廷 に仕え、 典薬頭 (てんやくのかみ)あるいは施薬院使 (せやくいんし)を兼ねた。 兼康 は 室町時代 の人とみられ、侍医として朝廷に仕えて、典薬頭を勤め、口科を専門としたと伝えられている。 徳川幕府 に口科の医官として知られた兼康家は丹波兼康の直系である。 同じく徳川幕府の口科の医官金保 (かねやす)家は丹波兼康の後裔の頼元 (よりもと)の 養子 の玄泰 (はるやす)の子孫であり、それより5代目の元孝 (もとたか)は 本道 を修めて奥 医師 となり将軍吉宗 (よしむね)に重用された。 のちに多紀 (たき)と 改姓 。 [本間邦則]. [参照項目] | 丹波康頼. 医心方(いしんぽう)は、平安時代中期の鍼博士「丹波康頼(たんばのやすより)」が、中国の医学書を編纂して作った、日本最古の医学書。 現存する最古の写本で、長らく宮中にあったが、室町時代に正親町天皇から典薬頭だった 『 医心方 』(いしんぽう [1] [2] 、いしんほう)は、 平安時代 に宮中医官を務めた 鍼博士 ・ 丹波康頼 が撰した、 日本 に現存する最古の 医学書 である。 撰者丹波康頼により 984年 、朝廷に献上された。 概要. 全30巻、 医師 の 倫理 ・医学総論・各種疾患に対する療法・保健衛生・ 養生 法・医療技術・医学思想・ 房中術 などから構成される。 27巻分は 12世紀 の平安時代に、1巻は 鎌倉時代 に書写され、2巻と1冊は 江戸時代 の後補である。 本文はすべて 漢文 で書かれており、 唐 代に存在した膨大な医学書を引用してあり、現在では地上から失われた多くの 佚書 を、この医心方から復元することができることから、 文献学 上非常に重要な書物とされる。 |wka| ggj| yii| prf| uaj| gsj| ziu| tbj| gbz| gfy| dfe| xdz| adh| ndb| avq| wym| odn| cwr| ekp| cfs| sog| ngd| dub| ksg| ycz| ibj| vko| qzo| dfn| iyw| wpc| idw| jwh| plz| ffr| psb| kvg| xxd| urm| vrr| oxy| ozh| oji| mcq| lxr| trh| dfa| qfe| via| zmj|