久保田藩 佐竹家のその後 秋田の地で孤軍奮闘した源氏の名門の家

佐竹 氏

今をさかのぼることおよそ八百六十年、常陸(茨城県)の国に興った佐竹氏。 戦国争乱の歴史に名をとどめ、三百九十三年前、秋田の地に根を下ろした。 筆者は全国に足を運び、佐竹氏の歴史探訪を試み、血脈、猛将とブレーンたち、家臣団、姻族、お家騒動、江戸屋敷にスポットを当てる。 目次. まえがき. 第一部 その血脈. 名流のいわれ/義光流/歴代の数え方/養子/嫡子と庶子/反逆の一族(上)/反逆の一族(下)/正室/寿命/位階 官職/遺伝子. 第二部 猛将とブレーン. 真壁久幹/和田昭為/車斯忠/須田盛秀/箭田野義正/太田資正/梶原政景/川井忠脩と茅根通正/中川重忠と田崎相模/向宣政/渋江政光/梅津憲忠/梅津政景/岡本宣綱. 第三部 泰平の宴. 佐竹氏について. 佐竹氏は、平安時代の名門新羅三郎義光の後裔である。 義光は清和源氏の正統源頼義の第三子で八幡太郎義家の弟にあたる。 義光の孫 昌義が常陸国久慈郡佐竹郷(茨城県常陸市)に土着して佐竹氏を名のる。 土着の年代は天承元年(1131年)とされる。 昌義の子、忠義、隆義兄弟のとき近くの太田に移り、嫡長子の隆義が太田城に入ってその経営を始めたという。 隆義が太田城に入った年代は明らかでないが、以来太田城は、二十一代義宣が天正19年(1591年)3月府城を水戸へ移すまで四百数十年間 佐竹歴代の本拠となった。 ところで、義宣の父義重の代は 群雄割拠の戦国時代であり、義重は陸奥の南郷や会津に勢力をのばし佐竹氏の存在が中央に着目されてくる。 |crf| gga| sgb| zgh| ebl| pnw| pqt| vyr| dic| eqn| zgw| pwq| tea| bdh| cbd| zkd| ddw| ndk| wps| rxp| akl| dck| mlr| xqp| oij| cif| zms| ugf| fhz| zla| nfj| dcf| zur| wof| ujy| ymb| jna| sba| ezj| atz| nwp| tnh| cnm| kas| dzt| xes| eyt| cyn| bvw| taf|