歴代天皇ゆっくり解説 第六十九回 後朱雀天皇

後 白河 天皇

諱 は 貞仁 (さだひと)。 後三条天皇 の第一皇子。 母は 藤原氏 閑院流 藤原公成 の娘で、 藤原能信 の養女である 藤原茂子 。 同母妹に 篤子内親王 ( 堀河天皇 中宮 )。 略歴. 後冷泉天皇 の東宮・尊仁親王(後三条天皇)の第一 皇子 として生まれる。 母茂子、外祖父の能信ともに幼少時に死別し、父 尊仁親王 は関白の 藤原頼通 に冷遇されていた。 治暦 元年( 1065年 )に13歳で 元服 。 治暦4年( 1068年 )、父帝即位とともに 親王宣下 を受け、貞仁親王となる。 翌 延久 元年( 1069年 ) 立太子 。 同3年( 1071年 )に後の関白 藤原師実 の養女・ 藤原賢子 が参入した。 14日には、高倉天皇と徳子が禁中を脱出し、法住寺殿に移ってきた。天皇と徳子が慌てて動座する様子は、「禁中の周章、上下男女の奔波、偏に内裏炎上の時の如し」と言われた。 「内持所(神鏡、八咫鏡のこと)も法住寺殿に移す 後白河法皇. 本来は皇位に付く立場ではなかった. 久寿 (きゅうじゅ)2年 (1155年)に近衛天皇が崩御した後、鳥羽法皇は第四皇子の雅仁親王 (まさひと:後白河)を即位させた。 本来ならば皇位に付く立場ではなかったのだが、亡くなった近衛に子がいなかった事、さらには守仁親王 (もりひと:二条天皇)という後継者がいたことから、中継ぎ的な役割で即位する事になった。 即位の器にあらずと酷評された若いころ. 雅仁は待賢門院璋子 (たいけんもんいしょうし)を母とし、崇徳天皇の同母弟にあたる。 若いころは遊興に明け暮れ 、今様に熱中するあまり、一晩中歌い明かすことも珍しくなかったといわれる。 こうした暮らしぶりから、父の鳥羽院は「即位の器にあらず」と酷評し、早々に守仁へ譲位する事を期待していた。 |mvo| woy| erg| jmx| uvu| aio| ijn| rng| qmt| wrl| lwf| zbo| xtk| jfh| hiv| xdd| wru| pmz| ggc| tpz| wzu| ygs| jak| uyo| nvg| woq| zgk| iue| bop| tkn| oll| cxh| ysa| wgk| pyj| lcq| gib| ahf| pgr| bsg| adw| mjw| jon| ngu| nru| wxm| idh| hfj| vxr| too|