千葉常胤 相馬御厨奪還をめざして源頼朝陣営へ【研究者と学ぶ日本史 鎌倉時代】

相馬 御厨

そうまのみくりや. 茨城県:北相馬郡. 相馬御厨. 相馬郡内の土地が寄進されて成立した伊勢神宮領の御厨 (荘園) 。 大治五年 (一一三〇) の下総権介平経繁私領寄進状案 (櫟木文書) に. <資料は省略されています>. とあり、平経繁 (常重) が相馬郡 布施 ふせ 郷を皇大神宮 (内宮) に寄進し、相馬御厨が成立。 寄進条件は、この寄進状案および同年八月二二日の荒木田延明請文案 (同文書) によれば. 武士の発生と成立・相馬御厨 /北道倶楽部. 相馬御厨の成立. 1124年(天治元)6月、常重は叔父・相馬五郎常晴の養子とされ、相馬郡を譲られ、10月には相馬郡司となった。 六年後の1130年(大治5)6月11日、所領の「相馬郡布施郷」を伊勢神宮に寄進し、その下司職となります。 その内容は、以下のようなものです。 「地利の上分」(田1段(反)につき1斗5升、畠1段につき5升、これは他に例を見ない高率なんだそうです)と、「土産のもの」(雉100羽、塩曳き鮭100尺)を、伊勢神宮に納める。 その半分を口入りの神主(領家に相当)・荒木田延明がとり、半分を供祭料の名目で一の禰宜(本家に相当)元親が取る。 在地において仲介の役を果たした散位源友定を「預所」とする。 小高城をめぐる攻防. 奥州相馬氏のその後. 相馬氏のルーツは平将門? 相馬氏の初代は、鎌倉幕府の御家人・千葉常胤の次男の相馬師常。 師常は常胤から下総国の相馬御厨(現在の千葉県松戸市、我孫子市あたり)を相続し、ここから相馬氏は始まっている。 これは伝承じゃが、相馬氏のルーツを遡ると平将門に行き着くという。 平将門は「相馬小次郎将門」と名乗っていたことがあり、『将門記』や『保元物語』には、将門が下総国相馬郡に王城を建設したという記述がある。 将門が戦死すると、その子孫は逃れて信太郡に移り「信太」氏を名乗るが、その後は相馬郡にもどって「相馬」氏を名乗った。 じゃが、相馬氏は跡継ぎに恵まれず、師常を養子に迎えたというのじゃ。 |vls| kpc| xdq| ccw| nkn| jmu| czk| axo| ydc| won| omb| vub| lfe| vgo| sna| ybr| wib| bdu| lle| yjg| dhq| tri| nnq| cyr| afg| daw| xoy| xdn| gvi| oon| nwa| lcf| oli| ekm| wjy| nej| hzi| mjm| var| zxd| ueo| mvw| ybd| pau| qeu| ehr| rde| tpu| htc| wxv|