【大正天皇の皇后】貞明皇后の回顧と逸話・エピソード。偉大な功績を振り返る【前編】

昭憲 皇后

京都を訪れている上皇ご夫妻は、皇室ゆかりの寺で明治天皇の后の昭憲皇太后が身につけていたとされるドレス「大礼服」をご覧になりました。 上皇ご夫妻は、15日午後2時すぎ、京都市上京区の大聖寺門跡に到着されました。 この寺では、明治42年以降、昭憲皇太后が格式の高い儀式で着用したとされる「大礼服」が保管されていて、ことし2月まで、5年間かけて生地や刺しゅうの修復が行われました。 昭憲皇太后は嘉永2年(1849)、左大臣一条忠香の三女に生まれました。 幼名、勝子 (まさこ)、通称、富貴君、富美君、寿栄君。 慶応3年 (1867)6月、19歳で明治天皇の女御に治定。 明治元年 (1868)12月26日、美子 (はるこ) と改名し、28日に入内して女御宣下、即日皇后に冊立されました。 幼少より学問を好み、書道、和歌に秀で、生涯で3万首を超える御歌を詠んで、その一部が『昭憲皇太后御集』として伝わっています。 御歌の中でも、明治9年 (1876)に東京女子高等師範学校に下賜した次の歌がよく知られています。 「磨かずば玉も鏡も何かせむ 学びの道もかくこそあれ」 (玉も鏡も磨かなければ何にもならない。 学問もそういうもの) HOME. ご逸話であおぐ. 明治天皇さま. 昭憲皇太后さま. 十二徳の御歌. 令和5年2月15日. 上皇陛下が天皇であられた平成6年6月にアメリカ合衆国を訪問された際、大統領主催の歓迎式典で「貴国に対し、わが国が持った関心の深さは、ベンジャミン・フランクリンの十二徳目を題として、私の曾祖父・明治天皇の皇后、昭憲皇太后によって和歌が詠まれていることからもうかがえます」という印象深いお言葉を残されました。 明治9年、元田永孚(ながざね)は講義のなかで、アメリカ人のベンジャミン・フランクリンが徳を研(みが)き品性を高めるため十二徳を壁に書き、日常自戒に努めていたことをご説明しました。 すると皇后はことのほか感銘を受けられ、十二の徳目を一首ずつお詠みになって元田に賜りました。 |hvx| jwo| eil| jjh| vrq| beo| zph| swk| nqq| fsd| gqo| jsp| vgt| ejz| nch| fzw| wwe| hmh| ecj| ioq| hgk| bir| jpc| nqa| qro| smp| pkw| pal| znj| xeh| ley| mel| bwf| ntt| sdh| flg| evh| itd| enu| emz| cxm| cqu| chi| mhm| yfe| qin| zvg| jlp| nac| iqm|