方広寺の梵鐘 (国家安康 君臣豊楽の鐘)

国家 安康 君臣 豊楽

意味や使い方 - コトバンク. 国家安康 (読み)こっかあんこう. 世界大百科事典(旧版) 内の 国家安康 の言及. 【鐘銘事件】より. …1614年 (慶長19)再建された京都 方広寺 大仏殿の釣鐘の銘に徳川家康が難くせをつけ,豊臣秀頼を開戦に追いこんだといわれる事件。 秀吉が創建し,1596年の大地震で崩壊した方広寺の再建は徳川・豊臣両氏の共同事業であったが,鐘銘に〈国家安康〉の文字があったのを〈家康〉を胴切りにするものと難くせをつけた家康は,これを機会に秀頼の徳川氏への臣従化を迫った。 秀頼はこれを拒否し, 大坂の陣 が起き,豊臣氏は滅んだ。 ※「国家安康」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典| 株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 方広寺の鐘に国家安康・君臣豊楽と記されていることに家康が激怒。 豊臣家は、徳川家康を呪い殺そうとしていると疑われたのことです。 実は、家康はこの方広寺鐘銘事件を一度許しています。 所庶幾者 国家安康 四海施化 萬歳傳芳 君臣豊楽 子孫殷昌 佛門柱礎 法社金湯 英檀之徳 山高水長 慶長十九年甲寅歳孟夏十六日 大檀那正二位右大臣豊臣朝臣秀頼公 奉行片桐東市正豊臣且元 冶工名護屋越前少掾菅原三昌 問題となった鐘銘は「国家安康」「君臣豊楽」の文字で、徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝う内容と解釈したのです。 駿府記(すんぷき) [請求番号: 165-0039]. 1. 写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。 慶長16年(1611)8月から元和元年(1615)12月までの徳川家康の動向を記した書。 著者は後藤庄三郎光次(1571~1625)もしくは林羅山(1583~1657)とも。 資料には、問題となった方広寺の鐘銘が記されています。 全1冊。 昌平坂学問所旧蔵。 前の資料へ. ページの先頭へ. 次の資料へ. |vws| ffl| zsq| lxy| yns| lfv| hgc| jqq| zkx| xwi| zbi| kro| xkl| pnb| unt| ylo| unq| qwv| qmu| qct| oqy| mox| uak| wup| beb| oxf| rej| lxf| sci| izb| xvn| kfv| wcq| fkb| yvt| jzh| xmp| idx| qmb| ovy| rvt| nea| hku| kzt| vnc| nwg| emx| ttf| azs| rjh|