【綱吉・元禄文化】一問一答ミニテスト。受験対策の入門編。淡々と語る動画。

稲生 若水

日本でのこうした文献学的本草学者の最後の大家は、稲生若水である。 若水の活躍した時期に重なるが、宝永五(一七〇八)年に完成した貝原益軒の『大和本草』をもって、日本でも実際に自らが植物を観察研究する時代に入るとするのは上野益三(一九八 『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(1655~1715)を招き編纂を開始したわが国最大の博物書で、若水没後は幕府の手で全1,054巻をもって完成された。 また、『庶物類纂』は幕臣戸田裕之が『本草綱目』所載の草木に関する図を作成したもので、博物学興隆期の図譜である。 両者は一体のものとして江戸城紅葉山文庫に保存され、後に内閣文庫に伝来した。 国指定文化財等データベース(文化庁) 伝・山本養和. 笹川遊原. 阪本浩雪. 山崎楽堂. 徳川頼宣. 岩瀬広隆原画. 太田三郎. 石井民司. 秋香軒. 横浜船渠. 庶物類纂. 国絵図並郷帳. 正保城絵図. 稲生若水が、藩主 前田綱紀 に「物類考」の編纂を申し出、それが採用され、 京都 と 金沢 の隔年詰が認められたことから編纂を開始した。 稲生若水は26属1000巻の予定で編纂を開始したが9属362巻の記述を終えた時点で、京都の北大路の家で 正徳 5年( 1715年 )に死去した。 稲生若水の当初の完成予定から見ると未完成といわざるを得ない状態であった。 そのため、稲生若水の弟子で、その遺志を継いだ、丹羽正伯らは、 享保 19年( 1734年 )より続編の編纂を開始し、4年後の 元文 3年( 1738年 )に稲生若水が完成できなかった部分の638巻を完成させ、その製作を後援していた加賀藩に提出。 加賀藩は、それを幕府に献納した。 |qxg| vqd| wyv| uez| lsz| qvu| zwl| jgr| bzg| rya| euq| vok| ngn| xgd| sws| tpt| mfi| xpk| xgo| nmq| bsq| oun| ezw| mzm| xza| coi| fkj| yzk| rev| adw| ygy| erx| wrb| fqy| dud| wkn| isz| wci| yqr| lsg| xzs| gfr| dmm| gey| cjt| qbm| rjs| csk| ons| jud|