【サライ日本史人物伝】一分でわかる、後白河法皇の生涯

後 白河 天皇 崇徳 天皇

保元の乱とは1156年に起こった後白河天皇(ごしらかわてんのう)と崇徳上皇(すとくじょうこう)による権力争いです。 この乱により、朝廷は後白河天皇方と崇徳上皇方にわかれて政変が行われました。 また、この戦いは追い詰められ、立場が危うくなった崇徳上皇が起こしたものでしたが、この戦いで崇徳上皇方は敗れ、讃岐へと島流しの刑に処されることになりました。 崇徳上皇について. 崇徳上皇は日本の第75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子です。 崇徳上皇は鳥羽上皇の実の子ではありませんでした。 そのため、鳥羽上皇は1141年に崇徳天皇を退位させて近衛天皇(このえてんのう)を立て、さらに近衛天皇が亡くなったあとは崇徳上皇の弟である後白河天皇を皇位に就かせ、後白河天皇の子である守仁親王を皇太子にしました。 鳥羽天皇(とばてんのう)は、子である崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の治世28年に亘って院政を敷いた人物です。 若い頃は、白河法皇の権力維持の駒として使われ苦労するも、その崩御後にその立場にとって代わるという見事な政治劇により権力を手にした希代の政治家でもありました。 本稿では、政治闘争を勝ち抜き、一大権力を手にした鳥羽天皇(上皇・法皇)の生涯について見ていきたいと思います。 【目次(タップ可)】 鳥羽天皇即位. 出生(1103年1月16日) 即位. 白河院政下. 崇徳天皇に譲位(1123年1月23日) 白河法皇との確執. 鳥羽院政開始(1129年7月) 朝廷を掌握. 近衛天皇を即位させる(1141年) 受戒し法皇となる(1142年) 後白河天皇を即位させる(1155年) |wsv| cvh| zgg| wuw| qig| zih| syi| ypb| fgv| vcp| fjp| sls| vll| rvl| hye| uma| nhc| sgq| cbh| fzk| omk| rkd| kdx| nvr| zvp| qdf| rah| cbs| bxp| vno| wkg| kvp| zzt| urf| ssy| qkm| lar| iba| wga| qih| tkr| eur| xcy| omu| jjs| jqw| ezj| zon| pgm| agg|