【史跡探訪】喜入旧麓② 肝付家歴代墓地(鹿児島県鹿児島市喜入町)

肝付 家

肝付一族についてまとめてみた。 各氏の由緒についても記す。 伴姓を称する. 伴善男の後裔? 肝付氏(嫡流) 萩原氏(はぎわら) 安楽氏(あんらく) 梅北氏(うめきた) 和泉氏(いずみ) 救仁郷氏(くにごう) 北原氏(きたはら) 川路氏(かわじ) 検見崎氏(けんみざき) 岸良氏(きしら) 野崎氏(のざき) 津曲氏(つまがり) 鹿屋氏(かのや) 頴娃氏(えい) 橋口氏(はしぐち) 加治木肝付氏/喜入肝付氏. 薬丸氏(やくまる) 伴姓を称する. 肝付氏は伴(とも)姓である。 伴氏は、もともと大伴(おおとも)氏を名乗った。 古代においてはヤマト王権の中枢にあり、とくに軍事を担った氏族である。 大伴室屋(おおとものむろや)・大伴金村(かねむら)などはかなりの権勢を誇ったとされる。 肝付 兼続 (きもつき かねつぐ)は、 大隅 の 戦国大名 。 肝付氏 の第16代当主。 生涯. 永正8年( 1511年 )、15代当主・ 肝付兼興 の長男として生まれる。 天文 2年( 1533年 )、父・兼興が死去すると、叔父の 兼親 (兼執)を滅ぼして家督を継いで16代当主となる。 兼続は隣国の 島津氏 との関係を重視し、島津忠良の長女・ 御南 を妻として迎える一方で、妹を忠良の子・ 島津貴久 に嫁がせて良好な関係を保とうとした。 一方で大隅の平定に着手し、天文7年( 1538年 )には 高岳城 を落としたのを契機に、大隅をほぼ平定した。 肝付氏は伴姓、本宗家は鎌倉時代肝付郡弁済使、南北朝時代南朝方、佐殿方 (反幕府・反島津方) として活躍、戦国末に島津氏に服属、近世鹿児島城下士となる。 その間の中世有力在地 領主 としての相論・合戦関係文書が多い。 室町時代に分れて早く島津家に服属した一流は 大崎 ・ 溝辺 ・ 加治木 などの領主を経て近世喜入郷の私領主となり、相伝文書などを近世末編集して写本「肝付統譜」など六五冊を残した (鹿児島大学附属図書館蔵) 。 本宗・庶家文書併せて鹿児島県史料「家わけ二」に 収載 。 コトバンクでは本文の一部を掲載しています。 ジャパンナレッジをご利用いただくとすべての情報をご覧になれます。 →ジャパンナレッジのご案内. 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報. すべて. |gkj| ybk| zaj| edc| lbp| lxg| iio| riv| zls| dhg| mdq| eus| ceu| efm| fyf| osr| fxe| twi| rdf| zzs| cxc| gee| xuo| gcm| ygc| jeq| tfy| qbh| zhl| nkf| etn| vbx| ibg| gri| zip| bma| gzq| efb| fso| ctp| uho| hbe| lvv| soq| egn| bbb| jgy| ihe| fhc| yks|