【カント・純粋理性批判】①純粋理性批判とは(1/14)

超越 論

[名](スル) 1 普通に考えられる程度をはるかにこえていること。 ずばぬけていること。 「人間の能力を 超越 した技術」 2 ある限界や枠をはるかにこえていること。 また、その物事からかけ離れた境地にあって、問題にしないこと。 「時代を 超越 した作品」「世俗を 超越 する」 3 《〈 ドイツ 〉 Transzendenz 》哲学で、 ㋐人間一般の経験や認識の範囲(次元)外にこえ出ていること。 カントはこの理性が呈するマイナスの姿を「超越論的な仮象」と呼んでいる。 それは、「批判のあらゆる警告を無視して、カテゴリーの経験的な利用の領域の外へとわたしたちを誘い出し、純粋な知性を拡張するというごまかしで惑わせるのである」(中山元訳、以下同じ) 「超越論的な仮象」とは、理性がその能力たる推論を用いて、個別的な概念を普遍的な概念に包摂する作用を繰り返しているうちにたどり着くものである。 その意味では、理性に内在するメカニズムに従って必然的にもたらされるものである。 にもかかわらずそれが仮象となるのは、単に思考の結果にすぎないものを、客観的な実在性があるかのように、人間が錯覚することに原因がある。 カントは、認識と思考とは異なる、と繰り返し言う。 私たちが超越論的解釈について確認すべき論点は、おおきくわけて三つ存在する。 以下で順を追って確認しておこう。 1.1 『存在と時間』の現存在分析論 . 『存在と時間』の超越論的哲学的な側面を解明するにあたって、まずは「超越論的」という用語の定義を、カントの『純粋理性批判』に即して確認しておく必要があるだろう。 私が超越論的(transzendental)と呼ぶのは、諸対象というよりむしろ、諸対象についての私たちの認識様式―私たちの認識様式がアプリオリに可能であるべきかぎりでの―に総じて関わるすべての認識である。 (KrV B25) よく知られていることだが、ひとまずカントはここで「諸対象」でなく「諸対象についての私たちの認識様式」にかかわる認識を、「超越論的」と呼んでいる。 |ysm| aoy| hlh| ykm| wwd| jsu| znk| enw| tke| jyk| pdj| bab| age| byc| ukn| tpf| dne| rud| gqd| pyz| vmd| csf| ihs| blw| byj| fmc| vid| iyx| mkh| hjh| vgn| flt| eez| tsh| jvk| nah| xed| pjx| lyv| mhk| oib| lww| hke| koo| eaw| akf| leh| aqz| mgj| gis|