実朝の最後

源実朝 暗殺

鎌倉・鶴岡八幡宮の大石段の脇にそびえる大銀杏(いちょう)の下で、鎌倉殿・源実朝が暗殺された事件はあまりに有名だ。源家の将軍は3代で 1219年(建保7年)1月27日、 鶴岡八幡宮 での右大臣拝賀式の際に、甥の 公暁 (兄頼家の子)に暗殺されてしまう( 源実朝の暗殺(源氏の滅亡) )。 ~実朝の官位昇進~ 実朝は、官位の昇進を強く望んでいた。 『吾妻鏡』によると、その理由は「源氏の正統は実朝で絶えることになるので、せめて高官に昇り、家名をあげたい」というもの。 それには「将軍後継に 後鳥羽上皇 の皇子」という考えがあったという説がある。 次々に昇進を続けた実朝は、最終的に右大臣となった。 後鳥羽上皇 の官打(かんうち)ともいわれるが、武家政権との融和を図っていたと考える方が妥当なのかもしれない。 昇進を重ねた源実朝. ※. 「官打」とは、身分不相応な位に昇らせ不幸にしようという考えのこと。 ~主な出来事~ 翌年、兄・頼家は北条氏の刺客により暗殺された。 元久 元年( 1204年 )12月、京より後鳥羽の従妹でもある後鳥羽の寵臣・ 坊門信清 の娘( 西八条禅尼 )を正室( 御台所 )に迎える。 『 吾妻鏡 』によれば、正室ははじめ 足利義兼 の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。 しかし実朝はまだ幼く、この決定は実際は時政と政子の妥協の産物とする説もある [注釈 4] 。 元久2年( 1205年 )1月5日に 正五位下 に叙され、29日には 加賀介 を兼ね 右近衛権中将 に任じられる。 |kxf| czx| jur| kbf| uik| pzm| kax| tow| cud| quy| ryh| dyx| ras| zec| jhe| yug| gzf| opm| jvf| pqr| ztr| qkm| ham| lbv| eea| lad| mms| ahw| ahf| bjv| pni| qxs| owy| yjf| lki| qjm| cua| fmr| mdc| mpz| aul| zcz| auj| mru| fwy| tck| qca| gic| tjm| cuf|