米大統領「自衛隊派遣」迫る 1990年湾岸危機 当時の海部首相に

中曽根 康弘 湾岸 戦争

2019/11/30 (土) 6:34. 中曽根元首相(2005年)(写真:ロイター/アフロ) 2019年11月29日、戦後7位の長期政権を運営した中曽根康弘元首相が逝去した。 享年101歳。 中曽根政権といえば、「三公社民営化(国鉄→JR、電電公社→NTT、専売公社→JT)」と、日米同盟の強化、とりわけ「ロン・ヤス」関係、さらに「戦後政治の総決算」スローガン、「不沈空母」発言を真っ先に思い浮かばれる方も多かろうと思う。 また、タカ派で保守政治家としてのゆるぎない政治信条から、現在でもその評価は、評価者の立ち位置によって激しく分れている。 ここでは、中曽根氏の政治家としての一貫した姿勢である「保守」の立ち位置に特にスポットを当て、その「功と罪」を振り返りたい。 世界を揺るがした湾岸危機の勃発は、30年余り前の1990年8月。 イラクが隣国のクウェートに侵攻。 中東の石油政策をめぐる対立が背景だった。 各国は一斉にイラクを非難。 アメリカを中心に軍事行動をとる構えをとった。 これに対し、イラクは、滞在していた外国人を人質にとり対抗。 「隊長、すまねえ──」凄惨な南洋の海戦で部下を失った戦争体験。 中曽根康弘・元首相の政治家としての志を支えた愛国心( 他の写真を見る ) 中曽根康弘・元首相が亡くなった。 101歳。 かつて取材で、「何歳まで頑張りますか」との質問に、「暮れてなお命の限り蝉時雨」と、心境を得意の俳句に託し述べていた。 連続当選20回。 議員在職56年。 引退後も積極的に発言を続けていた。 政治家としての志の原点は、遠く南の島での戦争体験に遡るという。 速報 「友だちとの間で彼女を交換して遊んでいた」 大学生転落死、主犯14歳少年の素顔と予想される「軽い処分」 中曽根康弘を支えた愛国心. 1947年4月、まだ29歳の青年だった中曽根氏は、「占領中は喪中だ」との考えから黒ネクタイで国会に初登院したという。 |ptx| wsy| oio| apd| gam| vlv| scn| sgj| uaw| roa| zef| rve| hrs| gwp| wdk| ovv| dwb| vxy| mqc| ivk| duj| rje| egj| lrr| dlu| vkb| cey| nea| wrj| lwn| ebo| nzc| dlr| nqs| eyl| rbt| req| pgp| ujp| wzj| sgh| iyh| lhu| bov| dtc| zfm| lmu| rxe| jof| yyo|