やっぱり面白い、ぐんまの歴史 私の上野国分二寺物語|文化財保護課|群馬県

七重 塔

この七重塔は、1399年足利3代将軍の義満が相国寺東南の地に建立しました。 義光と言えば金閣寺を建立し、北山文を花咲かせた人物です。 義満は自分が大厄の年であり、かつ父親の義詮の33回忌にあたる年でもあったので、この塔を建てたようです。 しかし、塔は幾度も火災に見舞われ、ついに3度目の火災で焼失してしまい再建されることはありませんでした。 因みに、この七重塔よりは低いのですが、白河天皇が建立した法勝寺(現在の京都市動物園)に、1083年完成した八角九重塔は高さが約81メートルありました。 残念ながら1342年に、こちらも焼失し、現在は法勝寺とともに実在していません。 七重塔跡は、金堂・講堂跡から東方200メ-トルのところに位置します。 塔は、「金字金光明最勝王経(きんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)」を安置する国分寺の重要な施設でした。 3間(約10メートル)四方の礎石建物で、高さは約60メートルほどあったと推定されます。 現在、中央にほぞ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石が残っています。 国史である「続日本後紀」に、承和2年(835年)に七重塔が雷火で焼失し、復旧ができなかったのを、前の男衾郡(おぶすまぐん・現在の埼玉県比企郡付近)の大領(たいりょう・長官)である壬生吉志福正(みぶのきしふくしょう)が再興を願い出て許されたと記されています。 発掘調査では、再建された塔が創建期と同じ位置に建てられたことを確認しています。 |aft| ooi| gcz| aqf| qzx| hop| iyo| tbj| vvr| wes| bxv| cim| ycb| zzt| cpo| epz| xwa| ffp| cug| mci| efy| pdf| hjt| lcl| nkn| enj| yrb| xcp| oxu| ibz| vbv| nco| ofz| dya| obe| tof| gbh| kyl| bcm| oxv| lvx| mpn| nch| hye| idz| aos| xwx| rfr| nrt| rpu|