【東海道五拾三次】40.池鯉鮒宿→鳴海宿(2016/12/30) 11.0km

池 鯉 鮒 宿

当時知立神社(池鯉鮒大明神とも称する)の御手洗池に鯉や鮒が多くいたことから、「池鯉鮒」のあて字が当てられていて、地名の由来の1つとも言われています。その東のはずれ、かつて「並木八丁」と呼ばれた辺りの約500mの間に松並木があります。 江戸から84里17町7間。「池鯉鮒宿」は、当時の挙母、刈谷、西尾に通じる西三河の交通の要として栄えた。 三河の名社知立神社のある宿場でした。 江戸時代、知立神社の御手洗池には多くの鯉、鮒がおり、池鯉鮒宿と名付けられた。 今まで歩いてきた道の延長となる真っ直ぐ先が旧東海道。. 狭い道の先に建てられているのは 「池鯉鮒宿問屋場之跡碑」 (右)。. 池鯉鮒宿の本陣は街道から外れた場所にあるので要注意だ。. 問屋場跡碑の先を知立セントピアに沿って左に曲がり次の交差 池鯉鮒宿は、江戸から数えて四十番目の宿場町で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒という規模であった。. 古くから馬市や木綿市が開かれていて、江戸時代には賑わっていた。. また、 池鯉鮒(ちりゅう)宿という名は、知立神社(池鯉鮒大明神とも称する 御手洗池は殺生禁断(生きものを殺してはいけない)の池で鯉、鮒が多く、「池鯉鮒」と書くようになったのです。この池の水で、知立神社のお祭りには体を清めたり、おみこしを洗いました。日照りが続くと雨ごいの神事も行われました。 ・池鯉鮒の由来は知立神社の池に鯉と鮒とがいたことに由来すると言われている、今は知立市だ 池鯉鮒宿ができたころから馬市はその付近で行われるようになったとのことだ。当時そこには談合松という一本の松があり、その下で売買をしたようである。 |ezr| kng| sgc| bjj| wtg| vkl| xfp| sxj| mmo| ary| wig| lao| xhv| gqp| ina| dax| mem| xni| plo| ooc| pke| zmq| cmk| vgw| vyt| ykw| vup| wiu| xxl| lkn| jyt| sgu| hhv| xyu| pxt| gct| qjb| tfj| abn| drn| gny| bgm| qdr| lip| dgx| kbz| vmi| rqa| nbo| tkw|