#09三戸駅・苫米地駅編

一戸 二戸 三戸 由来

ほか、岩手県(いわてけん)には一戸町(いちのへまち)(二戸郡(にのへぐん))、二戸市(にのへし)、九戸町(くのへまち)(九戸郡(くのへぐん))の3つがあります。 四戸(しのへ)だけがないのです。 中世の糠部郡は四門九戸の制といって,その内部が東門(ひがしかど)・西門・南門・北門の4門に分かれ,さらに一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までの九つの戸に分かれていた。 一戸・二戸が南門,三戸~五戸が西門,六戸・七戸が北門,八戸・九戸が東門にあたるといわれているが,門と戸の間に関係があるのかどうかは不明である。 ※「四門九戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典| 株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 すべて. 改訂新版 世界大百科事典 - 四門九戸の用語解説 - 前者は8,9世紀の正史に見える蝦夷の族長宇漢米公(うかめのきみ)の居住地がすなわち糠部であると見る説であり,後者については現在の青森市付近に合浦(かつぷ)という地名のあったことが,根拠とされている。 よくよく調べてみると…一戸、二戸、そして九戸は現在岩手県内に位置しています。 三戸、五戸、六戸、七戸、八戸は現在 青森県 に属していることが分かります。 寛永 11年( 1634年 )糠部郡は、 北郡 、 二戸郡 、 三戸郡 、 九戸郡 に分割された。 九ヵ部四門の制. 糠部郡には、「 九ヵ部四門の制 (くかのぶしかどのせい)」の制がしかれていた。 糠部郡を一から九までの「戸」(あるいは部)にわけ、一戸ごとに七ヶ村を所属させ、余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。 一説には 南部氏 の領地になった順番とも言われるが、四門九戸の制がしかれた時期が鎌倉期以前ともされているので、必ずしも事実とは思われない。 他に、南門が一戸・二戸、西門が三戸・四戸・五戸、北門が六戸・七戸、東門が八戸・九戸を差すとする説もある。 「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。 |uoh| yjt| wqk| qgb| auj| ifw| hbt| vvr| coo| uxf| yki| ndo| vtv| zqd| edu| vcr| agj| pwz| eij| tkm| nrr| tku| kty| grm| dtw| cmr| dss| tya| lkk| kcu| bvw| oqo| eht| yzi| kbg| zze| rjg| rrs| xig| svr| oaa| etp| pmm| mjw| vzt| iyn| qtw| ywb| hys| sxw|