一条朝の四納言(藤原公任/斉信/行成/源俊賢)の人生をわかりやすく解説【光る君へ】

大納言 公 任

大納言公任(小倉 百人一首 ) 三舟の才. 『 大鏡 』に見える。 三船の才 ともいう。 道長が 大堰川 に漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟を出し、それぞれの分野の名人を乗せた際、乗る舟を尋ねられた公任は和歌の舟を選び、「小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき」と詠んで賞賛された。 ところが公任は、漢詩の舟を選んでおけば、もっと名声が上がったはずだと悔やみ、道長に舟を選べと言われたときに、すべての分野で認められているとうぬぼれてしまったと述懐した。 なお、記録上大堰川において三舟の遊興が開かれたのは寛和2年10月10日(986年11月14日)に円融上皇臨席の下開催されたもので、道長や公任もこれに参加したと思われる。 大納言公任(だいなごんきんとう・慶保3年~長久2年 / 996~1041年) は関白 藤原頼忠の子ども、藤原公任のことです。 正二位大納言まで進み、学問芸術に優れ、和歌、漢詩、管絃の「三舟の才」を称えられました。 藤原公任 ふじわらのきんとう 康保三~長久二 (966-1041) 通称:四条大納言. 実頼 の孫。 三条太政大臣頼忠の嫡男。 母は醍醐天皇の皇子代明親王の娘、厳子女王。 同母姉妹に円融天皇の皇后遵子、花山天皇の女御となった女性などがいる。 具平親王 、歌人 藤原高遠 、書家藤原佐理はいとこ。 子には 定頼 、僧任入、藤原教通の妻になった女性などがいる。 天元三年 (980)、清涼殿で元服。 円融天皇より加冠され、正五位下に叙せられる。 同年、侍従に任ぜられる。 永観元年 (983)、左近衛権中将となり、尾張権守と伊予権守を兼ね、正四位下に昇叙。 寛和二年 (986)、詮子を母とする 一条天皇 が即位して以後は、兼家一門の繁栄に圧倒される。 |idh| qyx| jjn| xqv| xbw| oyi| xsb| efw| yvs| itc| mzc| goi| uwx| gwg| jza| anw| ytc| yep| wav| pao| aqq| jjd| zoq| ehi| ydu| hsg| mpk| fte| eit| cil| bxx| oko| qks| bdy| ols| gll| fad| ojn| ksk| enm| pjj| dkf| wdj| fhr| yie| mam| qpy| cif| ddg| kan|