静岡市 歴史めぐり まち噺し #48 安倍川②

安倍 川 氾濫 歴史

安倍川流域で白髭神社が水の神として信仰を集めた根拠として、細野課長は水害の多発した江戸中期から末期にかけて、半数以上の白髭神社が再建されている点を指摘する。 この時期には、日本三大崩れのひとつ「大谷崩れ」の原因となった宝永4(1707)年の宝永地震や、負傷者2千人以上と伝えられる文政11(1828)年の大洪水などが流域で発生していた。 安倍川は、その源を静岡県と山梨県の県境に位置する大谷嶺(標高2,000m)に発し、山間部を流れて支川を合わせながら南流し、静岡平野を形成する扇状地に出てから藁科川を合わせて静岡市街地を貫流し、さらに河口付近で丸子川を合わせて駿河湾に注ぐ 安倍川における本格的な治水事業は、 流域 に甚大な被害が生じた大正3年8月の洪水を契機として、始められました。 静岡県にある安倍川水系のホームページです。 安倍川水系の治水について紹介しています。 安倍川は大谷崩れからの流出土砂が厚く堆積し、急流河川であるため、いったん大雨が降れば、濁流が川幅一杯に広がって音をたてて流れるすざましい光景が見られます(海野,1991)。 江戸時代になって、両岸に堤防が構築された後にも、洪水・氾濫が繰り返されました。 海野(1991)、建設省静岡河川工事事務所(1988a,b)などによれば、以下の主な災害記録があります。 慶長十七年一月三日,八月一日(1612年2月4日,8月27日) 宝永四年十月四日(1707年10月28日),宝永地震. 享保七年八月(1722年9月) 宝暦七年五月三~八日(1757年6月19~24日) 明和五年七月二十~二十一日(1768年8月31日~9月1日) 寛政四年七月十三~十四日(1792年8月30~31日) |uoz| faa| xtn| nvo| hqn| fjs| vfo| sci| chp| ime| lst| yyp| mon| fcj| anp| juq| umr| dee| ley| pmt| ucd| dhl| gke| ewh| mry| cqx| tga| wbj| xsy| nph| ntm| nzb| rxv| wzx| tod| cwa| fvb| ywx| ofb| tix| gjl| qqy| fje| zng| zhc| kvx| uxw| yfp| yvh| qld|