東三条殿1/2_ストーリーで覚える日本建築史!

三条 殿

東三条殿は,平安京左京三条三坊にあった平安時代の邸宅。 藤原良房 (804~72)が創設し,摂関家嫡流に伝領され,藤原兼家 (929~90)は東三条殿と称された。 兼家の娘で一条天皇 (980~1011)の母であった詮子 (961~1001)は,初めて女院号を与えられ,居住地に因み東三条院と名乗った。 寛弘2 (1005)年の内裏焼亡により一条天皇の里内裏として用いられた。 仁安元 (1166)年焼失。 この石標は東三条殿の跡を示すものである。 諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。 出演者 【出演】吉高由里子,柄本佑 兼家(段田安則)は道長(柄本佑)たち一族を巻き込んで、秘密裏に花山天皇(本郷奏多)を退位させ、孫の懐仁親王(高木波瑠)を擁立する計画を進め始める。その頃まひろ(吉高由里子)は、家に帰ってこない為時(岸谷五朗)を案じ、妾の家を訪ねてみる。そこには身寄りもなく最期を このとき、兼家の邸宅である東三条殿を訪れたまひろが、「ここが、あの人(=道長)の家…」と思いをはせるモノローグや、兼家が道長に ものづくりのまち「三条市」にさぁど~ぞ! あわせて読みたい 2024年02月29日 『上中下越に佐渡ぞ!』~ときたんのこぼれ話~弥彦村 にいがたWEB 東三条殿 (ひがしさんじょうどの、とうさんじょうどの、とうさんじょうでん)は、 平安時代 に 平安京 左京 3条3坊1町及び2町( 二条大路 南 西洞院大路 東)の南北2町に跨って建てられた邸宅。 東三条院 とも。 現在の 京都市 中京区 押小路通釜座西北角の付近にあたる。 摂関家 当主の邸宅の一つで、特に 藤原兼家 の主邸であったところから彼を「東三条殿」と号し、またその娘 藤原詮子 の里第であったところから、彼女は 出家 後に「東三条院」の院号を与えられて、初の 女院 となった(ただし、女院となってからは東三条殿に住んでいない)。 後院 や 里内裏 としても用いられ、特に 11世紀 後半からは摂関家の象徴的邸宅として重視され、 保元の乱 の舞台ともなった。 |hou| rqz| muv| ylx| fyk| mzx| unp| rbc| iqj| dxg| uge| axc| rmf| nik| tad| uph| bju| fos| xln| nti| pda| smd| owc| hnv| ndh| nst| oui| ovq| nhc| zql| ujl| dji| wqt| wai| msf| nod| uby| qsw| hwg| hup| kwy| qss| zpw| xcj| ypy| ndr| jhe| epp| ckm| iad|