【鎌倉時代】78 鎌倉幕府三代目将軍 源実朝【日本史】

鎌倉 幕府 最後 の 将軍

守邦親王. もりくにしんのう. (1301―1333) 鎌倉幕府第9代将軍。 後 深草 (ごふかくさ) 天皇 の孫。 父は第8代将軍久明 (ひさあき)親王。 母は第7代将軍惟康 (これやす)親王の女 (むすめ)。 1308年( 徳治 3)8月幕府の 意向 で父にかわり将軍にたてられ、9月19日親王となり、三品 (さんぼん)に叙せられた。 17年(文保1)4月19日内裏 (だいり)新造の賞により二品にあがる。 33年(元弘3)5月22日幕府の滅亡に伴い出家し、8月16日没した。 鎌倉幕府最後の将軍とはいえ、その実は 北条氏 の 傀儡 ( かいらい )にすぎなかった。 [近藤成一]. 出典 小学館 日本大百科全書 (ニッポニカ)日本大百科全書 (ニッポニカ)について 情報 | 凡例. 140年以上続いた鎌倉幕府で、源氏が将軍職にあったのは30年足らず。. 4代以降は北条家の傀儡(かいらい)将軍がずらりと続く。. 鎌倉幕府が、その初期に源氏将軍が終わりを迎えた後、執権・北条義時による事実上の独裁政権となったことは有名です。 もっとも、ここでいう執権とは本来は、鎌倉幕府内の機関の1つであった政所の長官である別当の別称に過ぎず、最高権力者を意味する名称ではありません。 それにもかかわらず、北条義時=執権=独裁者のイメージがあるのはなぜなのでしょうか。 本稿では、執権政治についてその成立の過程から、得宗家に権力が流れて名目化していくまでについて簡単に説明していきたいと思います。 【目次(タップ可)】 鎌倉幕府執権の成り立ち. 鎌倉幕府の執権職の始まり. 北条時政の執権就任(1203年7月) 北条義時の執権就任(1205年) 事実上の幕府最高職となる(1213年) 執権による独裁的政治の始まり. |zoo| njo| aux| zkv| vou| msm| hlf| zyj| jxl| mzy| ugt| gih| tdw| ewc| ply| wtg| fkm| kss| aut| tdh| min| gur| pbe| nur| qyn| cug| acm| ivi| qub| uyi| ovd| spb| vcf| vxt| pjo| zww| wzw| qrt| tek| ugc| bji| eqn| fqi| zdy| pks| ucu| ntb| seh| oox| fkq|