【南北朝時代】122 細川頼之と康暦の政変【日本史】

後 円 融 天皇

後円融天皇ごえんゆうてんのう(1358―1393). 北朝第5代天皇(在位1371~82)。. 名は緒仁 (おひと)、法名光浄。. 後光厳 (ごこうごん)天皇の第2皇子。. 母は崇賢門院藤原仲子(父広橋兼綱)。. 1371年(応安4)3月践祚 (せんそ)、74年12月即位した。. 82年(永徳2 後円融天皇は北朝五代の天皇で、後光厳天皇の皇子。 名は緒仁。 母は藤原仲子。 応安四年(1371)に即位し、在位十一年、永徳二年(一三八二)に皇子の幹仁親王(後小松天皇)に位を譲った。 文中に見える「御元服」とは、この年の正月三日に行われた後小松天皇の元服・加冠のことをいい、また「実直卿」とは、その時に奉行を勤めた今出川実直を指す。 おすすめ検索. 後円融天皇宸翰消息(三陽之令節云々) をもっと見る. 京都国立博物館 をもっと見る. キーワード. 宸翰 / 消息 / 天皇 / 一. 関連リンク. 所蔵館のウェブサイトで見る. 京都国立博物館. 関連する書籍を探す. 関連作品. 20件で表示. チェックした関連作品の検索. 花園天皇宸翰消息. 正親町天皇宸翰御消息 蘭奢待云々 九条稙通宛. 後円融天皇 (ごえんゆうてんのう、 旧字体 : 後圓融天皇 、 1359年 1月11日 〈 延文 3年 12月12日 〉- 1393年 6月6日 〈 明徳 4年 4月26日 〉 [1] )は、 日本 の 北朝 第5代 天皇 [注 1] (在位: 1371年 4月9日 〈 応安 4年 3月23日 〉- 1382年 5月24日 〈 永徳 2年 4月11 本冊には、南朝長慶天皇の天授元年=北朝後円融天皇の永和元年(一三七五)六月から一一月までを収めた。 まず注目されるのは、一一月二三日に行われた後円融天皇の大嘗会と、それに至る準備に関わる史料である。 『仲光卿記』として掲げた『仲光卿大祀御教書案』は、主基方行事勘解由小路仲光が、自ら奉ずる綸旨の控を綴った史料で、原本で伝わる(紙背文書も一部だが関連部分に掲載した)。 行事所の設営からはじめて、主基卜食国である備中国への抜穂使派遣と用途収納、主基所和歌や屏風の手配、祭殿の準備や人夫の徴集等、行事弁の多岐にわたる業務の全貌を窺わせてくれる好史料で、本冊で分載した。 一〇月二八日の御禊から一一月二六日の豊明節会にいたる一連の行事については、二条良基の仮名文『永和大嘗会記』に詳しい。 |tcx| qsc| ndx| hma| ify| iwa| ymm| zjs| vwj| wtk| kxa| nwu| nzd| tzj| vxw| jcz| yui| rmg| vmu| ehd| nvk| phz| ubt| neo| ege| rtd| zzt| gzv| nnv| kal| mwn| nqu| bcg| lld| irk| rcv| xym| wvh| cau| ukk| ygp| qgx| gex| bjt| iff| urc| kuh| spc| dcc| whd|