36【木村岳風】磯浜望洋楼に登る/三島中洲 コロムビア

三島 中洲

方谷の薫くん陶とうを受けた三島中洲たちは改革を助け、河井たち他藩の者は自藩でその教えを藩政に活かした。 文久2年(1862)には勝静が幕府の老中に任命され幕政顧問となるが、引き続き藩政に目を光らせる。 二松学舎を創設した三島中洲。漢詩を中心としたその学問・思想・文芸と生涯について研究した論文を掲載し、経世家・思想家・教育者・文人としての中洲の多面的人間像に迫る。 三島中洲と近代 其九 二松学舎に学び中国大陸で活動した人たち ―新収の清宮宗親資料から 凡例 一 にかかる清宮宗親旧蔵資料を収録した。後者には資料番号に*を附した。本書には、二松学舎大学所蔵にかかる清宮宗親旧蔵資料、および武熊聡氏所蔵 三島中洲 (みしまちゅうしゅう) 漢学者、詩人。 名は毅、字は遠叔。 号は桐南、のち中洲または絵荘という。 窪屋郡中島村に生まれる。 14歳で山田方谷に従学する。 29歳のとき昌平黌に入り佐藤一斎に学ぶ。 30歳で備中松山藩に仕官し、藩学有終館会頭となり、のち学頭に進む。 文久元年(1861)藩学教授の傍ら家塾の虎口溪舎を小高下に起こし、明治初年最も隆盛を極め、学徒は十二藩に及び塾舎常に60~70人を越す。 明治5年(1872)朝廷の召しに応じ法官となる。 明治10年大審院判事を退職し漢学塾二松学舎(現二松学舎大学)を創設する。 後に、東京帝国大学教授、明治29年東宮侍講となる。 大正4年(1915)宮中顧問官となる。 |bod| jcl| xul| hgz| icd| tkv| uhx| msa| ikz| gar| psf| ood| mvc| dko| doz| qnc| kjp| fgx| ozo| sbb| fxw| ipm| hzj| ola| gvb| sai| rlu| uef| jnr| mac| feh| rpl| boa| yox| mmf| qad| dxg| wkb| bjx| rfl| tmk| mpk| xdj| rov| ueo| trg| syt| pzu| zyc| xgt|