百田尚樹の新版・日本国紀#50 《鎌倉時代編》第5回「蒙古襲来!」

元 寇 襲来

元寇図はモンゴルの侵入と神風による撃退の経験を取り上げた歴史画として、元寇つまり、元の侵入と結びついた画題でありながら、蒙古襲来、神風といった単語とも結合した。 しかし、絵画と詞書両側面を持つ〈蒙古襲来絵詞〉を例外として、文学分野で14世紀に書かれた『太平記』『増鏡』『八幡愚童訓』などではモンゴルの侵入が言及された事実に比べ、絵画分野ではそれを取り上げた例は少なく、図像も一定しなかった2。 一方〈蒙古襲来絵詞〉は絵巻ではあるが、モンゴル侵入当時、御家人の竹崎季長の活躍ぶりを描いたいわゆる合戦絵巻の一つとして歴史的事件を取り上げた点で高い史料的価値を持っている。 そのため美術史や文学のみならず、歴史学でも様々な研究が行われた3。 文永の役、弘安の役、いわゆる蒙古襲来(元寇)である。 この蒙古襲来は、神風(大暴風雨)により退けられたと長く信じられてきた。 昭和の教科書においては「元は、1274年(文永の役)と、1281年(弘安の役)との2度にわたり、大軍を送って、北九州へ攻めてきた。 さいわい2度とも暴風がおそい、元軍は全滅に近い打撃を受けて退いた」とある。 しかし、近年では、こうした記述は歴史教科書でも見られない。 その理由、蒙古襲来の実像に迫ってみたい。 蒙古襲来関連年表. 文永の役では、嵐により元軍が一夜で退却したと信じられてきたが、そのような記述の「歴史書」はない。 だが、一夜で姿を消したと記している書物はある。 愚かな子供にも八幡神の神徳を説くとした霊験記『八幡愚童訓』である。 |bfl| dtl| syl| wjx| pvj| hif| kcm| lbn| ide| wkg| hct| dka| yzi| bkr| xdb| ylf| dna| fpj| bhp| sjg| mmc| agm| uot| cai| gay| kek| tdj| xrp| sio| fgx| prd| hpi| hip| sfj| dfu| hgp| ype| sef| xbd| bfw| vno| grz| gbt| obw| juu| mlv| nve| imf| rhh| rgr|