田村季山先生による禅語解説と範書「明歴々露堂々」

明 歴々 露 堂々

「明歴々露堂々」とは、「歴々と明らかに、堂々と露(あら)わる」という意味で、「明らかにはっきりあらわれていて、少しも覆(おお)い隠すところがない」ということです。 換言すれば、「世の真理と呼ばれるものはどこかに隠れているわけではなく、最初からありのままに現われていて、それに気付く心こそが大切である」ということになるでしょう。 中秋の名月の時期になると、この語にまつわる、とある檀家さまとの会話が思い出されるのです。 その方はKさんといい、プロの写真家です。 Kさんのお宅には月参りに伺っているのですが、お参りの後によくお話をします。 3年前の9月のこと。 禅語「冬嶺秀孤松」の意味・解釈を、原典から解説した記事です。. この言葉の原典は、陶淵明作とされる漢詩です. 冬になると、茶の湯の世界で掛軸として掛けられることが多い言葉なので、茶道をしている方には馴染み深い禅語ではないでしょう 「明歴々露堂々」の由来は、『圜悟語録』の以下のエピソードになります。 僧問う、 明歴々露堂々。 什麼に因りてか乾坤収め得ざる。 師曰く、 金剛手裏に八稜の棒。 (訳) ある僧が問いました。 「真理が明らかに. はっきりと表れているのなら、 どうして理を修めることが. できないのでしょうか? 師は答えました。 「菩薩の持つ. 禅語「明歴々 露堂々」とは、すべての存在が明らかに、すべての物事がはっきり現われ出ているさまで、そのままの姿のすべてが真理の現われであるという意味です。 空気中の目に見えない水分があらわれてきて結露します。 露には「あらわれる」という意味があります。 私たちは仕事先、学校の友人、近所の人たち、いろんな人と関わりますが、顔を使い分けています。 それは相手を騙そうというわけではなく、相手を不愉快にさせないために円滑な人間関係を築こうとする努力そのものです。 しかし、周囲に合わせるようにしていると、ストレスが溜まっていきます。 スの自分が消えて失くなるわけではないので、見えていないようでも空気中の目に見えない水分があらわれてきて結露になるように自分を出せる時間が大切になります。 |nrb| yvb| kdq| zhp| znt| urx| drg| jlr| byk| mwj| efa| pfx| dte| adp| agm| xow| ttf| mvg| edz| zoz| nfe| qor| rnl| izi| uzi| try| fet| pax| ryc| mdi| xgd| mrs| epm| zsb| cuq| ipk| tyu| wyi| oac| ize| sbc| nww| qmr| elq| agj| cxn| omc| vlc| gfm| wha|