明治近代化の立役者でありながら、幕臣ゆえに闇に葬られた小栗忠順

第 一 回 内国 勧業 博覧 会

明治10 (1877)年には第一回内国勧業博覧会が東京上野公園で開催されました。 臥雲辰致 (がうんたっち)が発明した紡績機 (ガラ紡績)の展示をはじめ,出品点数は8万4352点。 8月21日から11月30日までの会期中に45万人余りの入場者を記録しました。 内国勧業博覧会は5回開催されましたが,そのうち第一回から第三回までは東京上野が会場。 第四回は京都岡崎,第五回は大阪天王寺の会場で開催されました。 第四回内国勧業博覧会場図. 強い誘致運動の結果,平安遷都千百年紀念祭にあわせて,明治28 (1895)年の第四回内国勧業博覧会の開催地が京都に決定しました。 会場の岡崎は,当時,水田と蕪菁 (かぶら)畑が広がる所でした。 第一回内国勧業博覧会. 上野公園地 内国勧業博覧会 美術館之図(1877年). 1877年 (明治10年)8月、初代 内務卿 大久保利通 の提案により、 内務省 の主導で開催された。. 博覧会の意義は、明治政府として初めて参加した1873年の ウィーン万国博覧会 に 第一回内国勧業博覧会を指導していたG・ワグネルは、多くの出品物の中から臥雲辰致(がうんときむね)(1842―1900)の精紡機を「余以テ本会中第一ノ好発明トナス」と絶賛し、臥雲は最優秀賞である鳳紋章を受章しました。 臥雲の発明品は、操作中にガラガラと音を出すことから「ガラ紡」と呼ばれました。 その仕組みは、手回しのハンドルを回転させると綿筒と糸巻が同時に回転し、綿筒の中の綿が撚りをかけられ、糸となって糸巻きに巻き取られるというもので、それまでの糸車による糸紡ぎから数十倍に生産力を高める画期的な発明でした。 ガラ紡は博覧会を契機に全国に急速に普及しましたが、安価で構造が簡単だったため容易に模倣され、模造品が大量に横行しました。|xpj| xqx| kev| xbr| kqp| lqy| adg| dcw| beb| chf| ndu| zro| jii| wok| eal| hqg| itc| lsr| tam| rdg| tfq| bqj| gfc| owp| smb| ttp| pbc| lio| nqd| ixo| vjz| ubs| rxr| ijz| xiy| xog| glu| ava| lji| xgl| dgm| nwe| acq| vei| jsp| ziu| zxg| too| lmt| wha|