有栖川 宮 幟 仁 親王
有栖川宮幟仁親王 ( 霊元天皇 玄孫)の第四王子 (男女合わせた王子女の中では八人目、但し成人した男子は熾仁親王と威仁親王だけ)で、生母は家女房の森則子。 熾仁親王 は異母兄。 幼称は 稠宮 (さわのみや)。 妃は 加賀 金沢藩 主 前田慶寧 の娘・ 慰子 (やすこ)。 最後の 有栖川宮 であり、また最初に海軍に就職した皇族( 皇族軍人 )である 。 生涯. 生い立ち. 1862年2月11日(文久2年1月13日)、京都において誕生、稠宮と命名された。 父・幟仁親王にはすでに熾仁親王という嫡子がいたため、稠宮は然るべき年齢に達した後に 妙法院 門主を相続することが内定した。
[ID:40188] 有栖川宮幟仁親王 : 資料情報 | 研究資料・収蔵品データベース | 國學院大學デジタル・ミュージアム. 有栖川宮幟仁親王. 國學院大學デジタル・ミュージアムは、本学における研究成果を学内外で研究・教育に利用していただくためのものであり、研究者、学生、一般の方々など、幅広い利用者を想定して作られています。 内容としては、様々なデータベースの集合体(各種の学術データベース、オンライン事典、デジタル・ライブラリーなどを含んでいます)であり、英語や韓国語など日本語以外の言語で利用できるデータベースも含んでいます。
有栖川宮幟仁親王 は、幕末・明治期の日本の皇族、書家(有栖川流)。身位は親王。敬称は殿下。神祇事務総督、神祇事務局督、神道教導職総裁、皇典講究所(現・國學院大學)総裁。有栖川宮韶仁親王(霊元天皇曾孫)の第一
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