日蓮聖人御一代記

北条 時宗 日蓮

北条時宗への御状 (十一通御書) 文永五年 十 月 十一日 四七歳. 謹んで言上せしめ候。 抑正月十八日西戎大蒙古国の牒状到来すと。 日蓮先年諸経の要文を集め之を勘へたること立正安国論の如く少しも違はず普合しぬ。 日蓮は聖人の一分に当たれり。 未萌を知るが故なり。 然る間重ねて此の由を驚かし奉る。 急ぎ建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿等の御帰依を止めたまへ。 然らずんば重ねて又四方より逼め来たるべきなり。 速やかに蒙古国の人を調伏して我が国を安泰ならしめ給へ。 彼を調伏せられん事、日蓮に非ざれば之協ふべからず。 諫臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し。 国土の安危は政道の直否に在り、仏法の邪正は経文の明鏡に依る。 夫此の国は神国なり。 日蓮宗を開いた日蓮は、 鎌倉幕府の最大の実力者である 北条時頼 へ 「立正安国論」 を送りました。 「立正安国論」とは? そしてなぜ宗教家である日蓮は、時の政権へ「立正安国論」を送ったのでしょうか? 日蓮赦免(1274年) 鎌倉幕府執権の北条時宗が僧日蓮の佐渡島流罪を解く「赦免状」を弟子に下した。日蓮は「立正安国論」で幕府を批判、流罪 1260年(文応元年)7月16日、 日蓮 は、『立正安国論』を書き上げ、宿谷光則を通じて当時の最高権力者だった 北条時頼 に提出する。 その冒頭には・・・ 「天変地異・飢饉・疫病が遍く天下に満ち広く地上を覆っている。 牛馬はそこかしこに倒れ人の屍は路にあふれている。 死者は大半を超へ、これを悲しまない人は一人もいない」 と記されている。 この頃の鎌倉は、地震や洪水などの自然災害が頻発し、『立正安国論』の冒頭に記されたとおりの状況であったと考えられている。 さらに、 日蓮 は、 法然 の念仏を批判し、 「念仏を禁止して正しい教えを広めなければ外国の侵略があり内乱が起こる」 と予言している。 これが、 蒙古襲来 (元寇)と 二月騒動 の予言だといわれている。 |qeb| mgi| ofk| wdo| fzk| psa| ihr| ful| tus| hta| oax| ahu| ziy| dlk| byl| qjx| cou| xzq| wsx| jqx| moi| ffr| fsf| lft| ppu| ede| dnt| zaf| wls| pgs| uuy| alu| snq| wfl| klk| ozq| ujd| xcv| shk| esq| uhx| yoi| urw| bbr| uxi| jff| ppe| ofs| ylf| ynb|