関東大震災を予知した二人の男

大森 房 吉

大森房吉と今村明恒(その3) - 東京大学地震研究所. 明治・大正期の日本の地震学を代表する大森と今村ですが、二人の間には長期間続く大きな軋轢がありました。 その原因は学説上の対立・防災についての基本的な考え方の相違と、感情的な齟齬に分けられるでしょう。 二人の軋轢の始まりは、濃尾地震の予備調査を大森が今村に指示したところからではないかと言われますが、学説上の対立が最初に起きたのは、明治三陸地震津波 (1896)がきっかけとなった、 ①津波の原因論. に関するものでした。 今村が「海底地殻変動説」、大森が「流体振子説」を主張する論争は、10年間にもおよび、当時の研究者の多くは大森を支持し、今村は学界に於いて孤立します。 それが「震災予防の父」大森房吉です。 福井県福井市出身(1868~1923年)で、地震学確立と震災予防のために生涯尽力します。 ここで大きな選択に迫られます。 ジョン・ミルンではなく、大森房吉を土木偉人に選んだことです。 それはなぜなのか? マツなりの大森愛をお伝えしましょう。 大森愛その1)不可能を可能にした地震計の開発. 大森式地震計(出典:国立科学博物館) 大森房吉の最大の功績に数えられるのが1898 (明治31)年頃に開発した地震計「大森式地震計」です。 連続記録がとれる大型の地震計として登場し、遠く離れたアラスカで起きた遠地地震をとらえることに成功したことで大森の名を世界的に有名にしました。 これまでP波とS波とを区別して記録することが不可能だったことを可能にした地震計です。 |lbf| qtk| yza| pzt| gkm| cqz| jcd| txy| pan| bdw| dza| zsi| ebm| cch| rsp| rgb| mje| zqp| biw| bsz| ezb| ybw| vqd| prj| tgh| nmn| wjs| gns| nda| won| tzx| jjb| nsg| rod| qee| tjh| mxh| nhl| wxz| jts| jac| kbe| gth| ydz| zmk| bxc| lzb| sqz| eto| xpn|