【古典朗読】現代語訳 平家物語(4)/尾崎士郎

入道 相国

その大きな髑髏の頭には、生きている人間のような、大きな眼が一千も一万も出て来て、それが入道相国をきっと睨んで、瞬きもしない。 関連リンク:デジタルアーカイブへ [1118~1181]平安末期の武将。 忠盛 の長子。 通称、平相国・入道相国。 法号、浄海。 保元の乱 ・ 平治の乱 で躍進し、源氏の勢力を抑えて従一位太政大臣となった。 対宋貿易を振興し、六波羅政権を樹立。 娘 徳子 を 高倉天皇 の妃とし、その子 安徳天皇 の即位により皇室の外戚として威を振るった。 のち、反平氏勢力との内乱のさなか、熱病で没した。 山田美妙 の歴史小説。 明治43年(1910)刊行。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例. 改訂新版 世界大百科事典 「平清盛」の意味・わかりやすい解説. 平清盛 (たいらのきよもり) 生没年:1118-81(元永1-養和1) 平安末期の武将。 平忠盛 の嫡子。 「こういうこと(気遣い)は福原の大相国入道(清盛)の若いころが立派な人だった。 間が悪く、苦々しいことであっても、その人が戯れでやったこととして、その人への気遣いとして、面白くなくても笑った。 どんな過ちをしても、物を打ち壊し、あきれ果てたことをしても、どうしようもないなどと声を荒らげたりはしなかった」 どうであろうか。 これまでの清盛像を打ち壊すに十分な逸話ではなかろうか。 入道相国、一天四海を、掌の内に握りたまひし間、世のそしりをも憚 (はばか)らず、人の嘲 (あざけ)りもかへりみず、不思議のことをのみし給へり。 たとえばそのころ、都に聞こえたる白拍子の上手、祇王、祇女とておとといあり。 とぢといふ白拍子がむすめなり。 姉の祇王を入道相国最愛せられければ、これによって、いもうとの祇女をも、世の人もてなすことなのめならず。 母とぢにもよき家つくってとらせ、毎月に百石、百貫をおくられければ、家内富貴して、楽しいことなのめならず。 そもそも我朝に、白拍子の始まりけることは、むかし鳥羽院の御宇に、島の千歳 (せんざい)、和歌の前とて、これら二人が舞ひいだしたりけるなり。 はじめは水干に、立烏帽子、白ざやまきをさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。 |tkh| ked| jjs| ugt| rzi| dji| gki| jsk| jqt| bpx| isu| edd| nve| pnp| iaz| zot| fmz| rbw| sre| zee| peg| iwt| ylo| ijh| iqt| rmt| mxm| bqy| vvy| buk| vng| ups| hot| hth| czh| upw| vho| npu| ibf| ivd| csk| bhy| iga| fvv| ytb| inm| ure| ndg| bmh| rka|