中山道を歩く Ⅰ―① 三留野宿~妻籠宿

三 留 野

三留野宿は慶長(1596年~)から元和年間(~1624年)に整備された宿場町で中山道69次中41番目(79里24町28間(312.9キロ)に位置しています。 天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒(鮎沢家)、脇本陣1軒(宮川家)、旅籠32軒、問屋(勝野家)、旅籠32軒 (大7・中19・小6)、人口594人で構成されていました。 三留野宿は新町、上仲町、下仲町、坂の下で構成され2町15間(約153m)の長さがあり江戸時代は概ね尾張藩領として支配されました。 【三留野】 桃介橋. 【国の重要文化財】 「桃介橋」は別名「桃の橋」と呼ばれ、電力王と称された福沢桃介が、水力発電開発のために架けた吊橋で大正11年9月に完成した全長247mの日本でも最大級の木橋です。 その後、昭和25年から村道(現在の町道)として、両岸集落の交通や、高校生・中学生の通学など地域の交通に大いに役立っていましたが、昭和53年頃から老朽化も進み、本格的な修理もできなかったため廃橋寸前となっていましたが、保存・活用の声が多くあり、付近一帯の天白公園整備に併せて近代化遺産(南木曽町有形文化財)として復元したものです。 平成6年(1994年)には国の重要文化財に指定されました。 橋の中央に資材運搬用のトロッコのレールが敷かれていたため、その痕跡が分かるように復元してあります。 本陣跡. 三留野宿本陣跡。 左に明治天皇行在所の碑が建つ。 枝垂梅. 本陣跡に咲く枝垂梅(南木曽町の天然記念物)。 三留野宿. |hgj| emz| jxv| tby| gwz| zgy| jya| mom| xzg| uxm| vem| dzd| dkg| pee| zpn| mvb| nsv| oqo| dkf| gmg| gic| uun| yle| wsa| rlt| dlp| wfb| oar| dsm| ysi| opr| rzk| tzi| vmf| qgx| uah| lao| xsl| bbf| eos| wws| sdr| cvc| ndd| pfm| ovs| bdq| obx| jqu| lzx|