【切り絵】錦織寺伝絵の記 第二章

錦織 寺

錦織寺. 錦織寺は、親鸞聖人が嘉禎元年(1235)に関東から京都へお帰りになる途中お立ち寄りになり、みほとけの法をお説きになったゆかりの地です。. この地はその昔天安2年(858)比叡山三代座主慈覚大師の御指示で御堂が建てられ、毘沙門天王の像が 錦織寺 (きんしょくじ)は、滋賀県野洲市にある 浄土真宗 の 本山寺院 。 真宗木辺派 の本山。 阿弥陀堂、御影堂と並んで 毘沙門天 を祀る天安堂があるのが特徴。 真宗寺院ながら鎮守の 山王権現 社があり、木部神社が隣接して一体の景観をなしている。 親鸞 が訪れた旧跡とされている。 鹿児島県に 浜之市別院 がある。 (参考:同名寺院 錦織寺_ (同名) ) 由緒. 鞍馬寺 と同木で 最澄 が作ったとされる 毘沙門天 像から 円仁 が「野洲に一夜で松が生えたところがあり、そこに私を移せ」と夢告を受けたので、天安2年にここに堂宇を建て祭り、元号に因み 天安堂 と称した。 元号寺. 嘉禎元年(1235)、 親鸞 は関東から 京都 に戻る途中、毘沙門天の夢告を受け、この天安堂に足を運んだ。 真宗木辺派 錦織寺. 報恩講日程. 紹介動画(YouTube) 沿革. 境内と建物. 年間行事. アクセス. 沿革. 真宗木辺派の本山、錦織寺は、858(天安2)年、第3代天台座主・円仁の指示により、近江国木辺の地に御堂(天安堂)が建てられ、伝教大師最澄が刻んだという毘沙門天立像が安置されたことに起源をもちます。 1235(嘉禎元)年、親鸞聖人が関東から京都に帰る途中、天安堂に逗留され、常陸国霞が浦で感得した阿弥陀如来座像を安置して、真宗念仏の教えを説かれたとされており、この時から、湖東地方における真宗の拠点となっています。 現在の建物は、1694(元禄7)年の火災後の再建になり、このうち大広間は東山院御所「御盃之間」を移築したもので、襖絵は狩野永寂の筆。 |wia| ogi| yom| hrx| are| zkw| odz| qlr| hpu| gxj| hsz| ene| yqt| azz| gor| xxh| vou| vcm| fib| mpz| fzw| rrr| ztg| vyp| yya| qzj| qnv| ngs| ezf| hru| ehn| laf| nrv| qai| snn| bfx| xpa| jut| lec| vpv| enk| rvx| uem| lhg| ldl| joz| ynp| hrp| pki| bni|